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テクノロジー

テクノロジーは技術の事です。技術は知識を具体的に生活に役立てる道具やわざを使うすべの事です。技術の進歩は生活を楽にします。欲望を満たす為に技術は進歩しているのです。

私は技術者としてその進歩が何よりも人を幸せにする事だと思っていました。技術の進歩により職を無くす人は負け組。技術を身につけて技術を使う側にまわらないと負け組になる。使われてはいけないと思い込んでいました。

技術者を使って利益を得る人は勝ち組で使わられる人は負け組になっている現代社会はどこか間違っていますが、技術の進歩が悪いわけではありません。

極楽浄土を求めて欲楽浄土で満足している思想が蔓延しているからです。
そもそも、極楽浄土を欲楽浄土にしてしまっている教育に問題があると思うのです。

極楽浄土も欲楽浄土も仏教用語です。

仏教を学んで幸せになろうとは言いません。宗教、哲学、思想を自分なりに学んで自分が理解して自分なりに伝えられる形にして伝えたいのです。

究極の幸せとは何でしょうか?それを得る為に何をすべきでしょう?
生きる目的はあるのでしょうか?

極楽浄土とは苦労が無くて楽しいことばかりがある世界だと思っている人が想像する極楽浄土は、人間の食欲、性欲、支配欲、金銭欲、睡眠欲など欲求が満たされた社会を思い浮かべるのです。それは欲楽浄土です。

それでは本当の極楽浄土とはどのようなものでしょうか?
テクノロジーだけが発展した世界ではなく精神が発達した世界だと思うのです。精神の発達とは悩みが瞬時に解決する世界です。楽しい事も悲しい事も苦しい事も素直に受け止める事ができ、自分がそれを表現できる世界です。

他人も自分も理解する事で知識や技術を共有化してあらゆるものに格差を生まない社会が極楽浄土です。短所、長所。向き、不向き、得意、不得意がある事で苦しむ事や、悲しむ事が無い世界が極楽浄土です。まだまだ勉強不足ですから本当の極楽浄土はどのような世界を言うのか疑問が残ります。

極楽浄土という言葉に惑わされる事なく理想郷でも、天上界でも、どのように呼んでもかまいません。自分が想像できる範囲での目標になっているのが極楽浄土です。

ですから、一人一人が想像する目標が高ければその社会は高い目標を持っている事になるのです。目標が低ければ低い社会で終わってしまうのです。

技術と精神の発展が極楽浄土に近づく事になるのです。
精神の発達とは比較しない精神になる事です。脳科学の進歩で脳は真実を把握できない事がわかっています。平面に描かれた図形も立体に見たり、描かれていない部分を勝手に想像して事実だと思ったり、勘違いに物忘れ認知機能の低下など嘘では無く事実だと思い込む事は精神の発展を阻害しています。

発達は個人のことで、発達は集団の事です。その違いがわからないとこの話は理解できないと思います。最近の私の記事が長くて説教臭いのは発達するのではなく発展させたいからです。

テクノロジーの進歩が精神の進歩に結びつける事ができるのがインターネットだと思っています。インターネットの自分の反対側には51億人以上の人がいるのです。

人間関係に悩んでも、金銭的に悩んでも、病気で悩んでも瞬時に解決できる社会になるかもしれません。テクノロジーの発達で悩みが無くなる世界ができるかもしれません。

話が長くなりましたので今日はこれくらいで終わります。