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本物

本物と偽物の違いとはなんでしょうか?

本物を知らないと偽物だとは気づかないのです。
本物の良さを知っている人からみれば偽物ばかりが溢れていると思っても偽物しか知らなければ、偽物だとは言われてもそれで十分に役立って本物でなければいけない理由がなければその偽物は本物になるのです。

偽物を偽物ですよと言っても偽物を本物だと思っている人には嘘だと思うだけですから、本物を見せてその良さを示す事で本物を知ってもらう事が本当に伝える事になるのです。

偽物と張り合っても本物を伝える事にはなりません。批判する事は本当に役立っているのでしょうか?

偽物の教えが役に立つからと言って本物にはなれません。一時の嘘方便は本物の嘘方便です。幸せになる壺や将来値段がつかないぐらいの値打ちのある上場予定の株などと一緒で本物だと思わせる話が巷には溢れています。

本物も偽物も区別がつかなければ同じ物だと思っても仕方がないのです。本物は真似されても本物であれば良いのです。物理的に真似をしても精神的に真似する事はできません。精神的に真似をする事ができればそれは本物です。

本物に価値があって良く似ている偽物に価値がなければそれは偽物です。
本物に価値が無く、似ていない偽物でも価値があれば本物です。
価値がないのに価値があると思わせるのが偽物です。

価値を正しく評価すれば偽物でも本物でも見分けられるのです。

本当の価値を知りましょう。個人によって価値観は異なります。
同じ価値観であれば同じような評価ができるのですが、価値の評価ができない人に自分の評価を押し付けるのは伝える事ではありません。

自分の価値観を伝え、それに基づいて評価した事を伝えるのです。
相手の価値観を理解して自分との違いを認めてどうすればその違いを埋める事ができるのかを学んでから埋めれば良いのです。

価値の違いを利用してはいけません。利用するとその対価を払わなければいけないのです。精神的な対価を払う事になります。「心の幸せ」から遠のいてしまうのです。

お金が無いと欲を満たす事ができません。お金が有っても欲を満たす事はできません。お金が有っても無くても欲望は消せないのです。

欲望から解放された時に「心の幸せ」を得ることができるのです。
では、どうすれば欲望から解放されるのでしょうか?
それを学んで実行すれば良いと伝わってきた先人の教えがあるのです。

本物の仏の教えが仏教です。「心の幸せ」は、全ての人に約束された生きる目的です。「大丈夫、どのような人でも「心の幸せ」が与えられているのです」それに気づく事を学べば良いのです。先人はそれを伝えてくださっています。本物の教えに気づいてそれを伝えてくださっています。

心で思っているだけならば罪にはなりません。嘘を吐いても誰にもバレなければ問題は無い。正義の為なら少しぐらいの悪事は許される。など偽物の教えが伝わってきます。

人が相手ならばそれはその通り実行している人は多いでしょう。でも相手が仏様ならばどうでしょう?心に思っている事は仏様には筒抜けです。嘘をついた事実も仏様には伝わっているのです。正義が本当の正義かの判断は人にはできません。仏様ならば悪事を働かなくても正義を貫く事はできるのです。

みんなの心の中に仏が住んでいます。その仏は全てを見て聞いて記録しているのです。その仏は「心の幸せ」を今、与えてくれているのです。それに私が気づかないだけです。

と想像して信じれば「心の幸せ」が本物になるのです。