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マナーがわかっていないルールなどいらない。

今日の写真はアップルパイ。久しぶりに焼いてみましたよ。

マナーがなっていないからルールが守られないのです。マナーとは道徳心や基本的な生き方のことです。ルールとは規則、法律、決まり事で、マナーを文章化したものだと言えます。賞罰で守らせようとしているので処罰に対する価値観の違いでも守られたりも守られなくなったりしています。それに対してマナーは文章化されない経験や心情で身についたものなのです。マナーの良し悪しが生きやすい人生になったりならなかったりするのだと思います。

マナー本は、マナーではありません。

マナー本や道徳の教科書、お経にありがたい話は、道徳を伝えるものでは無く、参考資料なのです。マナーは、身について初めてマナーと言えるのです。教えられたり、話を聞いたりするだけでは、マナーを伝えた事にはならないのです。

教えたから、マニュアル本を書いたから、質問に答えたから伝えたと思うのは、本当の伝えたでは無いのです。本質を伝えるには伝える側がその本質をわかっていなければならないのです。

お互いに響き合って初めて伝えたと言えるのです。

ハードとソフト

文章や会話、映像を駆使して伝わるのはハードな部分です。直接会った事によって伝わるのがソフトな部分です。文章化しても伝わらない本質に触れる事によって共感できる事があるのです。

ハードとソフトどちらがかけてもダメです、片方だけを信じて物事を進めるとうまくいきません。その例として法律と道徳があります。

法律と道徳

法律さえ守っていれば良いという偏った考え方があります。法律の抜け穴で儲けようとか、節税だから、儲けている間に必要経費で買い物をしておこうとか、捕まらなければ違反をしても構わないからとスピードを上げるドライバーなど、マナーが悪いとルールを決めても守られる事がありません。戦後の闇市が、法律違反でも食べ物がなければ死んでしまうので成り立っていたのは、道徳心が崩壊したからです。全ての人が道徳心を持って対応していれば買い占めも出し惜しみもせず。不良品を高額で売ったり買ったりしなかったと思うのです。現在の道徳心の欠如が、オレオレ詐欺や押し込み強盗、パワハラからセクハラ、マタハラなど法律が追いついていない犯罪が増えるのです。

道徳心の欠如が法律を作っているのです。

宗教と奥義

宗教では、自分を救えても他人を救う事はできません。救えたとしてもそれはまやかしです。間違った内容で救われたと思って他人を救おうとして間違ってしまうのです。奥義ではその事を伝えようとしているのですが、間違って使わられる事を恐れて秘密にしているのでさらに宗教が怪しくなってくるのです。

色々な宗派や高僧そして長い歴史があったのに戦争は無くなりません。それは、マナーが悪い事をルールで良くしようとした事が原因です。道徳を教えようと教科書にした時点でルールになってしまっているのです。教える人は、伝える人です。伝える人が道徳をわかっていないから正しく伝わらないのです。自分は良くて他人がしてはいけませんと教えられても信じる事はできないのです。

わかっていなくても教える側に立てば感謝されて食べていく事ができるのです。立場が上になれば楽に暮らしていけるのです。そんな人に教えてもらっても自分も上になる事が正しいのだと勘違いしてしまうのです。

勝ち組、負け組の勝ち組になる事が正しい事だと信じて手段を選ばないで行動してしまうのです。勝っても本当の勝利は得られないのに頑張ってしまうのです。

楽しい人生は、簡単に手に入れる事ができます。死ぬ時に楽しかったと言えば良いのです。満足できる人生は難しいです。常に満足していなければならないからです。欲望は際限なく湧いてきますから八分目もしくは六分目で満足できるようにならなければなりません。

宗教に不老不死を望んでも出来ない相談です。人類の究極の願望は不老不死で健康である事。不死身の身体で病気になったり怪我をすることもなく、お腹も空かない、眠ることもなく好きな事に没頭して取り組む事が永遠にできるならば、仙人になっても良いと思うが、それでも楽しいとか幸せだと思えるかはわかりません。

人として生きるには

ルールを守れるマナーを身につけた人になりたい。一言でマナーを身につけると言っても難し事ですから、ルールを知ってマナーを学ぶ事が必要なのです。マナーも文章化されたものはルールです。読んで理解しても身についているかと問われるとそれは日頃からの行動で評価するしか無いのです。

酒を飲む、タバコを吸う。それは法律違反ではありません。マナーが悪くても法律で罰せられる事はありません。でも人としてマナーが悪いのはいけません。

医者と先生と政治家

ルールを守って人の為に努力されていて感謝される人が多いのですが、マナーが悪くて、説得力がない事を自覚していない人が多いのです。サービス業では無いので、愛想良くして欲しいとは言いませんが、人に言っているのに自分にはできていない事を言い訳ではなく正当化したら何を信じたら良いのでしょうか?

権力者はルールを作る

権力者が、マナー良く権力を行使してくれたらルールは無くても治るはずです。ルールで縛らなければ権力を行使できないのであれば、その権力は間違っています。

大岡越前守は江戸時代の法律で裁く奉行でした。三両を落とした町民と拾った町民お互いに三両を譲り合います。大岡裁きでは、奉行から一両出し、それぞれに二両ずつ分けて三方一両損と捌いたのです。今の法律では、5%から20%の謝礼金を払う事になってます。そして3ヶ月経って落とし主が現れない時は全額拾った人のものになりますが、駅やデパートなど施設内での落とし物はその施設との折半になります。大岡越前守だったならば、額面の三分の一を政府が出して元金の三分のニが礼金でもらえるのです。もしも落とし主が現れなくてもその場で礼金が手元に入るのです。マナーが良ければ落とし物も忘れ物もなく拾う人も無いのです。

マナーが浸透していたならばルールなどはいらない。

マナーを知る為にはルールを知らなくてはいけません。ルールはマナーをわかっている人が作らなければなりませんが、どんどんルールしか知らないマナーの悪い人がルールを作っているのです。マナーあってのルールなのです。

ルールが読めてもマナーが良くなるとは限りません。ルールでは表せていないマナーが沢山あるのです。マナーとは、性格、品格、真摯を問われているのです。

今までは、性格も悪くて品格もなく真摯に受け止めることもなかったのですが、反省してマナーを良くしたいと思います。