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人はなぜ生きるのか?

仏教では死後に極楽浄土に生まれ変わる為に信心しましょうと言っています。信心する事が生きる目的だと言っています。解釈の違いで教え方が違っていますが、信心する事で人としての生き方を教えているのです。

文章や言葉で伝えると誤解され、間違って伝わるのが人間の脳の限界があるからです。スーパーコンピュータやAIが全世界の書物を記憶して仏を持つ事ができたとしても人間が仏教を理解するよりもわかっていないと思います。

仏教は記憶では無いのです。感情でも知識でも無い智慧だからです。

仏教として伝わっている書物や記憶や知識は凡人でもわかるほんの一部の事です。伝えたくても伝わらない書物や絵画、口伝に頼るしかないから今伝わっていることから本当の事を理解しなければいけないのです。

例として極楽浄土に生まれ変われるとか、日頃の行いで地獄に落ちる事もあるだとか人の想像を超えた話は伝わらないのです。

想像しましょう。想像を助ける知識は書物や絵画や人との交流で得る事ができるのです。極楽浄土とはどのような世界でしょうか?

美味しいものがいつでも食べれてお酒や異性で楽しい時間が過ごせ、寝たい時に寝て、起きたい時に起きて自分の欲を満たせる事ができるのが極楽浄土ではありません。それは欲楽浄土です。

欲楽浄土はお金があれば実現できそうですからお金、お金と思ってしまうのです。想像してください極楽浄土とはどのような世界でしょうか?

欲楽浄土しか思い浮かばないのであれば極楽浄土に往く事はできません。生きる目的は極楽浄土が想像できるように学ぶ事だと思うのです。

欲楽浄土に囚われてそれを生きる目的にすると極楽浄土には往けません。
仏教は教えてくれます。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道を知りましょう。六道から抜け出す事が極楽浄土へ向かう事になるのです。六道のどれかに人はいるのです。六道をくるくる回っている自分の行いが今どの状態なのかわからないといけません。それを反省しては人に戻るのです。

地獄

言葉では表す事ができない苦しみを味わう事です。

餓鬼

人を思いやる気持ちがない事です。ここから脱出する事は大変難しい事です。

畜生

弱肉強食だと思って、常に不安な状態です。人以外の動物は競争に負けると死があるのです。

修羅

怒りや苦しみに捉われて、自分の欲に気づかない状態です。例えば大震災があってたくさんの人が亡くなりました。自分は7時間前にそこに居たのですが、運良く難を逃れました。「あ〜ぁ、良かった」と思う気持ちは修羅です。たくさんの人が亡くなっているのです。良いはずがありません。

苦しみもありますが楽しみもあるのです。ここを起点に六道を回っています。

苦しみは少なく楽しい事が多いので有頂天になるとすぐに地獄に落ちてしまいます。

六道輪廻

六道を回って、自分は今どの状態かを客観的に見て、学べる状態になれば学び、極楽浄土を想像してこの世を極楽浄土にする事が生きる目的です。

知らんけど。