他人の思いを知った時から半年
寄り添うことが、不幸にしない、思いやり。
自分の思いと他人の思いが違った時。悪い方に思うのか?良い方に思うのかでその時の動きが決まります。
疑って素直に「ありがとう」が言えないのは悪い方に受け取った時です。
たとえ間違っていても良い方に取る方が自分にも相手にも良い方向に向かうでしょう。
意地悪されても、「友達が欲しいけど接し方がわからないんだなぁ」と思って友達との接し方を一緒に模索しましょう。
コミュニケーションが下手な人とコミュニケーションが得意な人では同じ思いにはならないのです。得意な事を不得意な人に自分ができる事がなぜできないのと思っても不得意な事を得意になれと言われた人は自慢されていると思うかもしれません。
自慢は自己満足で止めておかないと聞かされた人には迷惑な話です。
助言はヒントになれば良いのですが指導と言って指導者が指導者の思いを伝えて指導者の思い通りになれと強要されていると思うとそれも迷惑です。
自分の思いより他人の思いを尊重するのが指導者です。他人の思い通りになるように環境を整えてあげる事とその思いを遂げるにはどうするのが良いかのヒントを与える事です。
自分の思い通りにならないと嘆く人が他人の思い通りにしてあげることなどできません。自分の思い通りの人生を歩んでから指導者になれるのです。
親が自分の夢を叶えて欲しいと子どもに期待するのは間違っています。
親の後ろ姿をみて親と同じ道を歩みたいから指導して欲しいと思われるようになれば良いのです。
私は指導者でも教育者でも政治家でも宗教家でもありません。人生のデザイナーです。生きやすい社会をデザインしたいと思っているのです。
哲学を勉強したわけでも精神学を勉強したわけでも福祉や社会学を勉強したこともありません。工業高校から社会人になって働いてきたのです。高学歴でも高収入でもなく、小学校からアルバイトをして、母子家族を支えてきたのです。
同じ環境で育っても思っている事が違うのが人です。同じ思うのならばポジティブに思う方がネガティブに思うより真実に近いのです。
「馬鹿じゃ無い」と言われても無視されて陰で言われるよりもありがたいと思うのです。
ポジティブに考える事ができない状況になったなら「負けるが勝ち」だと素直に敗北を認めましょう。今の状況を認めたら必ず次の手が浮かんでくるでしょう。
自分と他人の思いが同じ時は素直に喜びましょう。
自分と他人の思いが違った時は「そんな思いもあるんだ」と理解しましょう。他人から嘘の思いを伝えられたら「その人の願望を知らされた」と思って信じましょう。思ってもいない事は口から出ません。
金銭的な損得と精神的な損得は比例しません。
騙すより騙される方が良いと言いますが騙されない方が良いのです。
騙されないのは騙しを見破るより騙そうと相手が思わない方が良いのです。
もっと良いのは騙されても騙されたと思わない事です。
ポジティブはネガティブな事実をポジティブな精神で誤魔化すことではありません。ネガティブやポジティブに捉える事を知らない心で事実を見る事です。ネガティブとはアナログカメラで使われたフィルムから写真を焼き付ける時に見た目の通りに写しますがフイルムには反転した映像が写っています。
ネガティブもポジティブもフィルムを介することで発生するのです。心のフィルムを介さずに直接眼で見た事が真実です。
思いは眼で見る事はできません。心が感じた事です。真実から感じた事であれば良いのではありません。真実は一部でしか無いのです。全部だと思う残りは全て想像です。その想像が良い方向での想像と悪い方向での想像であれば良い方向の想像であれば良い気持ちになれます。悪い方向の想像であれば悪い気持ちになるのです。
事実の一部でも沢山の事実から一部を想像する方がその想像は真実に近くなります。
相手の思いは真実ではありません。思いは想像が作り出したものです。真実がわかれば思いも変わるのです。真実を積み上げて同じ思いを持つ人と縁を結びましょう。
自分の思いも相手の思いも真実を知る事で同じになるかもしれません。
真実は想像では無い部分のことです。想像と真実を区別して真実から思いを持つべきです。
さあ、今の真実を見に行こう。
「思いやり」と「不幸にさせない」が同じだとは半年前に気づいていたでしょうか?不幸にさせたく無くても不幸に陥ることがあります。不幸だと気づけば手を差し伸べれば良いのです。
不幸か不幸で無いかは寄り添うことでわかります。寄り添うことが不幸から救う唯一の手段です。
寄り添うことが、不幸にしない、思いやり。