見出し画像

なぜ生きる

なぜ生きなければならないのでしょうか?
生きる事が目的だから生きるとか、生きているだけで丸儲けなどと言われてもなぜ生きるのかの答えにはなっていないと思うのです。

病気や事故で死にそうな目に遭って、死んでしまいたいほどの苦しみや痛みこれ以上生きて幸せになる事はなく、経済的な負担と心配をかける事になるし、回復しないとお医者さんも言っている、周りの人を不幸にするだけだと思っている人に生き抜いて幸せになりましょうと声をかけても、何の意味があるのでしょう。

生きる、死ぬと切羽詰まった状態にならないように日頃から自分はどう生きれば良いのだろうと思っている人に向けての私からのメッセージであり、「助けてくれなきゃ死んでやる」と他人を脅す人には病気だから病院へ行ってくださいとしか言えないのです。

なぜ生きると言うよりもなぜ生きているのだろうかと疑問に感じた時に参考になればと思って記事を書いています。これは自分へのメッセージです。

原因があって結果があるのが自然です。原因もなく結果だけの世界だと思い込んでいる人が大多数の中で異論を述べると排除されるのも自然です。

結果を早く出したいと思って物事をすると大きな事はできません。結果が出るまで時間がかかるものほど努力が必要になるのです。

努力をしても結果が出ないと結論を出すのか、結果が出るまで努力を続けるのかで、「努力は報われない」の意味が違ってきます。

上司が大きな声で叱咤激励をした時に小さな声でも聞こえると思うのか、頑張ろうと思うのか、捉え方は人それぞれで異なるのです。

生きる意味も同じです。人それぞれで異なっていて良いのですが、どうしても変える事ができない事実があります。誰にでも共通している事です。それは、最後は独りぼっちで死んでいく事です。誰も逃れる事ができない結果です。

死ぬ事がわかっているからこそ生きるのです。

もう十分生きた。何も思い残す事なく死ねると思う事ができたならば安心して死を迎い入れる事ができるのです。

思い残す事が無いように生きる。
それが幸せに生きる事なのだと思います。

あれもこれも中途半端な状態で継続できずに残しているのです。

人それぞれで思い残しそうな事は異なるのです。
自分の思い残したく無い事を他人も同じだと勘違いすると大変なことになります。お節介では済ますことのできない誤解を招く事になるのです。

勘違いに早とちり、妬みや怨みになって心が病んでしまうのです。

思いを残さずに死ぬ事が生きる目的ならば、日々が好日、寝る前に「今日も好い日でした」と就寝について次の朝、目が覚めなくても良いのです。

あれもこれもこれもし忘れていると思って就寝についても気掛かりで「ぐっすり寝る事」ができないのです。食事も喉を通らなくなって生きる意味が無いと思ってしまうのです。

思い残す事が無いように生きたいのに思い残す事がありすぎて死にたくなるから死んでも死に切れません。そうなると心はすでに死んでいるのです。

肉体の死は他人から見て判断がつきますが、心の死は判断がつきません。肉体は死んでいるのに心は生き続けているのかも知れません。

思い残す事なく身体も心も死ねたら良いのですが、思い残したく無いからと他人に託すとその託された人は負の財産を引き継ぐ事になるのです。

自分の思いは自分で解決すべきです。他人に託すのは自分勝手な解決方法です。財産を引き継ぐとは思いを引き継ぐ事です。

思いを引き継がずに物質だけを引き継ぐのは文化が廃れる要因です。
会社も仕組だけ引き継ぐのでは無く、社訓の心を引き継いで永く続くのです。家族も同じです。心を引き継いでいますか?

どのような思いを残すのか、どのような思いを引き継いできたのか最近考えるようになりました。

心は見えない、聞こえない、触れない、感じる事で伝わるのです。感じて動くから感動したと言うのです。

昔から匂いは心に働きかけると言われています。野生の動物は匂いに敏感です。遠く離れた所や目に見えない所でも、気配を感じる事ができるのです。

皮膚も嗅覚の延長です。危険を感じると鳥肌が立って知らせたり空気の流れを感じたりします。目で見た感動、聞いた感動、皮膚で感じた感動は言葉では表現できません。感動する事を忘れているのは心が疲れているからです。

人間は感動する為に生きているのです。

何度も何度も何度も繰り返して言いますが、思い残す事が無いように生きるのです。思い残す事が無くなればいつ死んでも安心です。

心の財産の負の財産となる思いは残さない。心の財産の正の財産は託すのです。心の思いを託すのです。

生きるとは心の整理をする事です。