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ナラティヴセラピー練習会

はじめに


 実業高校で勤務していたたったの1年間という短い期間で、自分に失望しきって頑張ることに意義を見いだせない生徒や、言語化にも感情表現にも苦手意識があるが故に、周りに馴染むことを一切しようとしない生徒が多く居ました。まぁ実際、今の学校教育現場には、偏差値帯に関わらず環境に上手く適応できない自分を卑下しながら通う生徒は多くいます。そんな中、彼ら彼女らの自分嫌いをほぐすためにはカウンセリングの技術が必要だと思って図書館に行ったところ、ナラティヴセラピー(以下、NT)に出会いました。これがなかなか、優しい思想から生まれたアプローチでドハマりしてしまいました。

 この記事では、NTについて軽く知ってもらい、一緒に実際にNTを軸にしたセラピーを受けてもらえる人に出会えたらと思っています。記事の最後にセッションの目標と連絡先を載せておきますので、モニターを受けてくれるという方はそちらからご連絡頂けますと幸いです。

 モニターを受けるうえでNTについて理解しておくと面白いだろうとは思うのですが、このNT、絶妙に定義が分かりにくいかつ、定義化することを避けるきらいがあります。ということで、NTの目指すところやその思想の裏にある考えを伝えることで、どんなものなのかをぼんやり理解してもらえたらと思います。


人の語る物語は、支配されている?

 NTでは、相談者の話(ストーリー)を絶対的なものであると捉えず、多様な解釈が在るものだと考えます。映画に例えるとわかりやすいんですが、ストーリーって誰の視点に寄り添うかによって善悪が変わりますよね?勇者に寄り添って物語を終えば、魔王軍は悪になる。例え魔王軍の中に、家族を大事にするゴブリンがいても駆除されるでしょう。ゴブリン家族は勇者側にとっちゃ大事ではないので、描写すらされないかも。逆に、魔王軍側に視点を置いて描写したら、モンスター全員を駆除することに心を痛めるかもしれません。勇者側の描写は減り、融通の効かない正義を振りかざす人物として描写されるかもしれません。ここで大事なのは、ストーリーというのは、世界の全体像を描くのではなくあくまで描く視点に沿ったものをピックアップして描くということです。

 これを現実世界に当てはめると、相談者のストーリーにも何らかの視点があるということ。「僕は何を頑張っても上手くいかないんです」という話を持ってきた方は、「頑張っても出来ない自分」という視点から、上手くいかない場面をピックアップして来るのです。そこでは、”小さな成功物語り”や、”挑戦を見守る理解者”は描写されにくい。NTでは、相談者の語るストーリーをより広く描いてもらうことを目指し、より豊かな描写から導かれる新たなストーリーを構築するのを目指します。

 NTのモニターを通して、豊かな描写を目指して語り直したストーリーからより深い自己理解に繋がるように、サポートできればと思います。

コラム
ちなみにこの考え方、アドラー心理学(意味の心理学)にも共通しているような気がします。アドラー曰く、人間の行動には必ず目的が在り、その目的に応じて行動や思想が選択されます。これは、NTにおける相談者の語る初期のストーリー描写が特定の考えに影響を受けているもの(選択的に描かれる描写)だというものと似ています。


人は思ったよりも自由に考えられていない!

 NTが大事にしてる考え方として、人間は思ったよりも主体的に意志を持っている訳じゃない、というものがあります。例えば、学校に来たら制服で過ごしているわけですが、制服を着ているからといって全員が制服バンザイなわけじゃない。でもわざわざアンチ制服運動を企ててデモったりするわけじゃない。他にも、日本では室内じゃ靴を脱ぐけどそれが世界的に一般なわけじゃないことが挙げられます。女性の胸に性的興奮を感じるのも、アフリカの特定の民族(お胸出しっぱの部族もいる)では当たり前じゃない。

 こんな風に、我々の行動思考、価値観には多分に文化的、社会的要因が影響しているわけですね。さて、じゃあ人が悩む時はどんな時に悩むのかというと、社会的に当たり前とされていることができなくなると悩むわけです。
例えば、結婚すること、子を持つこと、学校に行くこと、就職することなどについて考えてみると、これらの当たり前とされることがいかに人を悩ませる要因になり得るかが分かるかと思います。色んな生き方があってもいいとは頭でわかっていても、自分のストーリーとなると自分を縛り付けたりしてしまうものなんでしょうねー。

 モニターを通して、この社会的な要因が絶対なものではないと考え、人を悩ませてくる要因の妥当性を一緒に考えられればと思います。


人が問題なのではなく、問題が問題!

 この話は、具体例を交えて話していきます。
 ある生徒が吃音があるため、授業で行う英語プレゼンを全体発表ではなく自分だけ個別で発表にしてほしいと頼んできました。配慮するには全く問題はないので快諾し、後日その子の話を落ち着いて聞くために面談を設定しました。
 その時話してくれたのは、その子が長らく吃音に悩まされ、発表を避けてきたという話でした。その子は吃音に対して勝てないし、抵抗もできないといったような考えを持っていました。そこで、吃音に気付いたのはいつ頃かという話や、今までどうやって吃音と付き合ってきたかという話を重ねたところ、実は以外と吃音との付き合い方が上手くなってきていることに気づきました。昔は自分で教員に配慮申請なんかできなかったし、そもそも教員と話すのにどもっていたらしい。それがどうやら僕に対してはよりスムーズに話せる上、自分のできることをしっかり考えられていると。
 面談の前での彼女は、「また自分の吃音に支配されている」というストーリーを語っていましたが、会話を重ねて豊かな描写を目指した結果、「吃音という特性に対処していっている自分」というストーリーになりました。僕に対してはスムーズに話せるという発話も、その子の吃音の症状がその子自身に内在しているというよりは、環境(誰と話しているか)などによって影響を受けていることを意味します。

 NTでは、問題とみなされるものをその人固有のものと捉えず、問題を自身のアイデンティティから切り離して考えていきます。これは、人の意志や行動が社会的な文脈に影響を受けているという前提から来る考えです。

 伝統的なカウンセリングや精神医学では、何らかの症状(朝起きれない、何もやる気になれないなど)を”うつ病”や”起立性調節障害”など病理化していくことがありますが、こういった病理化が相談者にラベルを貼ることになり、相談者がその病名を自分のアイデンティティに取り込んでしまう可能性があります。NTは、あくまで問題は問題として存在していて、人の性質として内在化をしないという考え方をします。(必ずしも内在化しないわけではないけども)


NTモニターについて(セッションの目標)

 私自身、NTの資格があるわけでも実践経験があるわけではありません。
ただ、自信が実践してきた内省を促す会話法を通して自律性を育成する技術と、このNTの手法が共鳴する部分が多くあったため、実践経験を積みたいと思ったのでカジュアルにやってみようという次第です。NTに関しての知識としては、関連する本を4冊(マーティンペイン先生と国重浩一先生のもの)と、創始者のマイケルホワイトの論文を読んだくらいのものです。とはいっても、分厚い本を結構ちゃんと読み込んだので、適当にやってみようという覚悟ではありません!

 セッションは一回50分、可能であれば2回やってもらえると嬉しいです。継続していただけるということであれば、月に1回のペースでやっていきたいと考えています。

 目標としては、豊かな記述をしていくことで、話し手がより深い自己理解に達すること。また、セッションを通して自分を再発見することで更に前向きに物事に取り組めるよう対話をしていくつもりです。何かしらに悩んでいる必要は全くありませんので、興味がありましたら、下記のメールにご連絡していただきますようお願いします。

panmimi0624@gmail.com

筆者について

公立高校教諭として5年間勤務。その間内省を促す対話法を実践し、生徒の自己理解を支援するよう努めた。才能発掘の授業を実施したり、授業時間外の面談で人間関係や学習面での悩みに関する対話を持つことをよくしていた。集団として自己理解を深める授業実践や、個別面談での自己理解を深める実践経験あり。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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