【不登校】私の「仕事との両立」②


こんばんは、パン子です。

前回、私の精一杯の「仕事との両立」について書きました。

今回はその続きです。

スクールソーシャルワーカーは、子どもの幸せのために、その子を取り巻く環境(家庭環境、学校環境、地域社会環境など)に働きかけ調整するなどのお手伝いをする仕事です。

私はもともと教員でした。

その学校は、当時教育困難校と呼ばれ、生活保護や非課税の世帯が全校生徒の3割を超えており、保護者が薬物で突然逮捕されたり、運動会などでは大きなタトゥーの入った保護者同士で喧嘩が始まったりと、経験したことのない光景が子どもたちの日常として存在していました。

その中で、私はある1人の子と出会いました。
その子はお母さんが目の前でリストカットをしたため、心配で登校できないとのことでした。

「この子に必要なのは、お母さんのケア。でもそれは教員の仕事ではない。」同時の上司から、そう言われたことをきっかけに、改めて自分を振り返り、その中でスクールソーシャルワーカーになることを決めました。

教員を13年、スクールソーシャルワーカーを5年、色々課題も見えてきて、これからもっと今のチームで試してみたいこともたくさんあった、そんな時に突然の我が子が不登校に。

そして、前回投稿のようなギリギリの両立生活が約1年続きました。


子どもの体調が悪化して、誰かに見守りをお願い出来なくなっていくと、仕事に大きく支障が出始めました。

具体的には、

◯仕事のスケジュールが立てられない。
 約束の日に子どもの体調不良があると思うとクライアントとの約束の予定が入れられなくなってしまいました。

◯「連絡してもつながらない」という苦情。
 仕事を休む日が増え、反動で出勤する日はスケジュールが詰め詰めになり、私への連絡が取りにくくなってしまいました。メールなども確認するまでに何日もかかってしまいました。

◯同僚への負担
 人員不足の中、私のフォローを同僚にお願いすることになり、職場全体の負担が増してしまいました。

◯我が子からの連絡が頻繁に
 留守番ができなくなってくると、仕事中我が子から私への連絡が頻繁にかかってきました。「吐きそう」「頭いたい」「いつ帰ってくる?」「あとどれくらいで帰ってくる?」
そんな電話が10分おきくらいにかかってきました。出られないこともあり、本当に心苦しい毎日でした。

などなど、、一日一日がいっぱいいっぱい。

それでも、職場環境には恵まれ、待遇も少しずつ良くなる時期だったので、このままなんとか継続できないかということを上司も同僚も一緒に考えてくれていました。

時期は3月。決断が迫っていました。


長々と読んでいただきありがとうございました。少し疲れてしまったので、一旦ここで区切りにします。

またよろしくお願いします。

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