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大島渚マラソン#06「天草四郎時貞」(1962)実験的野心あふれる異色の東映時代劇【ネタバレ映画感想】

大島渚的、異色の東映時代劇

松竹を飛び出て「飼育」というスゴイ作品を作り上げた大島渚監督、翌1962年はなんと東映に招かれて時代劇を撮ることになります。こんな才能あふれる若い監督を放っておくわけはないのですが、現代の日本のあり様にケンカを売り続けてきた大島監督に東映時代劇はちょっと予想外な感じもしますよね。

「飼育」で大暴れの果てに燃やされてしまった石堂淑朗がまた脚本(大島監督と共同)に復帰、チャンバラ映画らしくない政治論争を持ち込んで、これがまた奇妙な魅力を産み出してます。音楽は相変わらずホラーな真鍋理一郎、不安な異次元へいざなう素晴らしい仕事ぶりです。

1637年、九州天草、島原のキリシタン百姓たちは藩主松倉勝家(平幹二郎)の命を受けた代官田中(千秋実)のキリシタン弾圧に苦しめられていた。百姓たちはもう暴力で訴えるしかないとブチ切れ寸前だが、救世主とされるカリスマ天草四郎(大川橋蔵)の「今が反乱の時ではない」という言葉に従い、全国規模のキリシタン決起に備えて待機していた。「まだ手ぬるいぞ」と幕府直参の多賀主水(佐藤慶)がさらにサディスティックな虐殺拷問を始めると、若い百姓たちは四郎の制止を無視して代官襲撃を開始、突如加勢に現れた謎の浪人(戸浦六宏)を新しい指揮官として代官屋敷を陥落させる。四郎は早すぎた幕開けに愕然としながらも、百姓たちを率いて藩主松倉との全面戦争へと向かっていく‥‥

時を超えて寄り添う闘争の敗北感

キリシタン弾圧というと、最近では同じく長崎を舞台にした2016年の「沈黙」(マーティンスコセッシ監督)を思い出しますが、「沈黙」のような信仰に基づく神様の問題は意外と薄味で、恒例の「踏み絵」のシーンもありません。その代わりキリシタン弾圧と言えば拷問というわけで、鞭打ちや逆さ吊り水責めなどのリアルな描写と悲痛な絶叫は出てきますので、苦手な人は閲覧注意ですね。

ところどころで聖書の言葉も引用されますが、大筋としては「自由を踏みにじる支配権力」と「権力を打ち破ろうとする人々」の闘争。天草四郎の描き方も、幼馴染の武士新兵衛(大友柳太朗)に城内を探らせたり、全国のキリシタン決起に向けて画策したりと、宗教的なカリスマというより反逆の革命家といった印象です。

まだまだ日米安保闘争の敗北感が消えていない当時の状況で、東映時代劇であっても大島監督の時代への怒りと悲しみは健在でした。

暗黒の美学とスペクタクル

前作の「飼育」同様、モノクロ画面を活かした闇の描写と、ロングでのワンカット撮影で複数の出来事を展開させる舞台劇のような演出が今回も印象的です。冒頭、暗闇の中で影が動くという描き方で、キリシタン百姓の集会から、そこに押し入る役人の横暴、その後ボウっと照らし出される宗教画といった展開を見せていく流れなど、重苦しいなかにも美しさがありダレることがありません

そして今回東映時代劇ならではの集団活劇シーンも見せ場のひとつで、怒り燃えて走り回る群衆の叫びや地響きのような足音にも凄まじい迫力を感じます。こんなスペクタクルなモブシーンまできちんと撮れてしまうとは、大島監督のエンタメ的な才能に改めて感心してしまいました。

キャストではまず天草四郎の大川橋蔵、私は世代的にテレビ「銭形平次」の印象なのですが、本作では厚塗りのキリっとしたイケメンというイメージと違い、眉毛ボーボー童顔のオッサンという作りです。伝説では16歳の美少年(諸説あるようです)ですが、熱いなかにも聡明さ誠実さを感じる正しい大人って感じです

「飼育」でゲス親父を怪演した三國連太郎ですが、今回は絵を描く自由と引き換えにキリスト教を捨てた右衛門作を熱演。拷問に耐えられず仲間を売り、燃える屋敷や火あぶりにされる人々を嬉々として描く狂気ぶりが凄まじく、罪悪感と恍惚のはざまで揺れる姿がトラウマ級です。

また武闘派の百姓たちを暴動に駆り立てるカリスマ浪人、戸浦六宏のカッコよさ、立ち姿も声も本当にホレボレします。さらに幕府直参・佐藤慶の百姓たちをいたぶることのみが目的のような冷血さも見事に恐ろしいです。

天草四郎の遺志を継ぐもの

怒りに燃えるキリシタン百姓の執拗な襲撃にてこずる松倉藩は、四郎の母、姉、そして親友の新兵衛を城壁の十字架にかけ、三人を人質に反乱軍へ棄教と降伏を持ち掛けます。みなが家族を失う中そんな取引に応じるわけもなく、自ら一緒に死ぬことを志願した新兵衛の妻さくら(丘さとみ)も加えて、四人の十字架に火が放たれる。と、画面がハイキーの白っぽい絵になり、横移動するカメラが嗚咽をあげ絶望する人々の顔をこれでもかこれでもかと映していきます。あきらかにやり過ぎなのですが、こういう過剰な表現に若い大島渚監督の怒りと情熱を感じてグッときてしまうんですよね。

ついに幕府の援軍12万人が島原へ向かって動き出し、四郎は反乱軍の敗北は時間の問題と悟ります。さて、これからどうする?と、映画がスゴイ展開を見せます。暗闇の群衆のなかで発言する人にスポットライトがあたり、それぞれの主張がぶつかるディベート合戦(暴力も可)が始まりました。舞台劇みたいな心象的映像にちょっと戸惑いますが、きれいに計算された構図や役者の動きが見事で、大島監督らしい大胆さにわくわくします

松倉と死ぬまで闘う派、教えに従い棄権する派など意見がぶつかるなか、四郎の出した答えは「籠城して討ち死にし、反乱の意思を歴史に残す」ということ。ドラマの結末としてこれには煮え切らないものを感じますが、こうして300年以上経って映画化され、誰かの闘争心に火を灯すこともあるかと思えばあながちこの決断もアリなのかもしれませんね。

そして映画は、天草四郎の大軍が籠城すべく移動を始める素晴らしいモブシーンに、「三万八千人全員死亡しました」とあっけない字幕で終わりになります。この儚さがまたかっこいいんですよね。

興行的に今ひとつらしく、あまり良い評判を聞かなかった本作ですが、エンタメ的にも実験的な野心作としても十分楽しめた傑作でした。権力に怒れるものとして天草四郎の遺志をこうしてフィルムに残した、大島監督の心意気も感じます。

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