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大島渚マラソン#04「日本の夜と霧」(1960)もしも朝まで生テレビする結婚式があったら?【ネタバレ映画感想】

松竹が公開4日で上映を打ち切った問題作!

と、大島渚監督4作目「日本の夜と霧」と言えばまずこの言葉が紹介されます。1960年、公開4日目の10月9日にあの浅沼稲次郎暗殺事件が起こり、松竹はこの政治色の強い作品への暴力的な反応を恐れ、大島監督に無断で上映を打ち切りました。これが大島渚が松竹を退社するきっかけになったようです。

60年前の政治的状況が今ひとつピンとこない私に楽しめるか不安だったのですが、見始めてしまえば、工夫を凝らした構成と演出、ほとばしる異様な熱量に圧倒されてあっという間の2時間でした。社会の破れない壁の前でもがく人々の絶望とイラ立ちが時空を超えて憑依し、現在の自分を挑発してくるような迫力を感じます。

前2作では街頭ロケを取り入れた即興的な演出で「松竹ヌーヴェルヴァーグ」ともてはやされた大島監督ですが、今回は洋館の一室という限られたセットを主な舞台にして、結婚パーティーに集う人々の群像劇に挑戦しています。これがまたカット割りせずにカメラを回し続け、川又昴カメラマンによる移動と横へのパンで計算された画面作りが、舞台のような緊張感を持続して素晴らしいです。

またこの長廻し撮影の中で、役者たちは膨大なセリフ、しかも政治用語満載で論争させられるのですが、これにはさすがに無理があってみんなカミカミなんですよね。ところがこの「無理なセリフを一生懸命やらされてる感」が逆に生々しく、当時の人々の虚勢や言葉の空しさともリンクして、映画全体に異様な迫力を与えています。これが大島監督がこのあと非役者の演技にこだわっていく布石になっているかもしれません。

1960年6月15日にあなたは何をしていたか?

霧の深い夜、カメラが洋館の一室に入っていき、中では結婚パーティーが始まっています。新婦は1960年6月15日の日米安保阻止のデモで負傷した玲子(桑野みゆき)、そして新郎はそのとき彼女を救護した新聞記者の野沢(渡辺文雄)。そこへ、玲子の同志で指名手配中の太田(津川雅彦)が乱入し「仲間の北見(味岡亨)が行方不明なのに、問題を家庭の幸福に埋没させていいのか?」と玲子の結婚を批判します。

1960年6月15日というのは安保阻止を訴える全学連7000人が国会議事堂に乱入、警官隊との衝突で東大の女学生が命を落とす事件があり、この映画が公開された1960年10月には、観客にとってわずか4か月前の生々しい出来事だったでしょう。この日、デモに参加した人、しなかった人、デモには行ったけど途中で流れ解散した人、最後まで闘った人、太田の告発は登場人物だけでなく観客のひとりひとりまで、当時の政治的立場を問うドキリとするものっだでしょう。

そしてもう一人の告発者、宅見(速水一郎)が不気味な歌を口ずさみながら亡霊のように登場します。彼は1950年の破防法阻止闘争で、新郎の野沢と当時の委員長の中山(吉沢京夫)に、彼らが10年前、同志の高見(左近充宏)を自殺に追い込んだスパイ事件を告発にきたのでした。当時から反中山派だった坂巻(佐藤慶)、東浦(戸浦六宏)もこれに加わり、主導権を乱用し議論を受け付けない10年前の組織運営を批判。さらに太田は、この論戦そのものに「スターリンの亡霊にとり憑かれた廃人ども」と噛みつき、ここで事態は二世代間のそれぞれの立場から四つ巴の闘い、批判と保身をかけた修羅場へ突入します。だいたいがタテマエを取り繕って終わる結婚式が本音の批判合戦でグダグダに破壊されるのは皮肉で面白いです。

大島監督のひとり脳内「朝まで生テレビ」

(公開当時の)現在起こっている安保闘争と10年前の破防法闘争が、結婚式で新郎新婦それぞれの立場でリンクするって発想は面白いのですが、問題があっちこっちに跳ぶために議論が見えにくくなるのも事実。映画自体が何を言いたいのか散漫な気もします。

客観的な議論が続くなか、この10年間の内面的な告白をしているのが新郎の野沢です。委員長の中山と共に前衛として組織を縛り思想統一していくものの、共産党本部の「火炎瓶」から「歌とフォークダンス」による団結への方針転換についていけず、阻止の甲斐なく国の既成事実はどんどん作られ、さらに恋人の美佐子(小山明子)を中山に奪われることで敗北感と無力感にさいなまれ、大学を出て周囲が就職結婚と安定していくなか、新聞記者になっても居場所のない不安定な存在へとなっていきます。

この野沢の告白は、1950年代に京都大学で京都府学連委員長として闘ってきたあと、闘争を捨て映画監督となった大島渚の内面に重なるものを感じるんですよね。野沢が1960年の安保闘争で闘う若者たちに触れて、記者として場を同じくすることで再び心の高揚を取り戻していくことも、大島監督が映画という形で闘争を描くということにもつながっていくようにも思います。

野沢はその延長で玲子との結婚へと至るわけですが、それを現在闘争中の太田に「闘争を捨て家庭の幸福へ逃げ込む」行為として批判されます。これ自体、この直後に小山明子との結婚を控えていた大島監督自身への自己批判と考えると、何やら複雑な気持ちになりますね。映画全体が大島監督の10年間の闘争史を総括した脳内「朝まで生テレビ」に思えてきました。

塀の向こう側の闘争、こちら側のジレンマ

10年前に組織内の分裂と主導権争いの犠牲になって自殺した高尾に対して、1960年現在に相似形になるのが、玲子に誘われるままデモに参加し、重傷を負ったまま行方不明になった北見の存在です。北見は純粋な使命感に駆られて6月15日デモに戻っていきますが、集団の中で「バカバカしい孤立」を覚えて虚無感のなか姿を消していました。

北見の消息を聞いた玲子はウエディングドレスのまま洋館の外へ駆けていき、カメラもそのまま外へ出ていきます。玲子と共に駆けるもの、それを止めるもの、みなが夜の庭へと出ると、張り込んでいた刑事が太田を捕らえ巻き起こる喧騒!庭の外、塀の向こうからデモの歌声が響いてくる。一部のものが闘争へ戻ろうとするなか、かつての委員長の中山が理論武装したもっともらしい演説を始める‥‥

このワンカットに収められた葛藤の縮図、何とも言えないカタルシスを感じるラストシーンが素晴らしいんですよね。阻止闘争を続けても次々に作られていく既成事実への敗北感、無力感、そしてバカバカしい孤立感‥‥もはや中山の言葉には何の意味もなく、塀の向こうの歌声も空しくひびき、何も解決しないまま、どうしようもないジレンマを抱えた人々を深い霧が包んでいきます。

このあと70年代、前衛となって闘い続けたものの一部はテロリストという犯罪者になり、闘いを辞めたものは政治には何も期待しない傍観者となっていきます。まだまだ塀の向こうでは団結の歌を歌って闘う人々がいた時代、塀のこっちがわで映画という形で何ができるのか、大島渚の情熱的なゆえのもどかしさを感じる実験的な傑作だと思います。

政治って自分たちの手の届かない「あっち側」で行われているものとして最初からあきらめた現在の私にとって、60年前の「自分たちに世界は変えられる」と信じていた人、そして「変えられない」ことにジレンマを感じる人がいた熱い時代があったことは、むずがゆい挑発を感じました。

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