死ぬまでにはどうにか読みたい
僕が毎日Twitterで流し読んでいる文字数を総計すると、ちょっとした文庫本一冊分ぐらいになるんだけれど、どういうわけか本というやつは、月に1冊と読めないことが珍しくない。
Twitterをやめさえすれば、理論上読む時間は確保できるはずだということに、ずいぶん前から気づいてはいるものの、実践の段階で躓き続けている。
遡れば、月に数十冊読んでいた頃もあったけれど、十数年の時を経た現在、集中力は落ち、疲れやすくなり、思考があちこちにとぶようになり、にもかかわらず集中という機能は失われ、情緒は乱れ、小説なんか読んだ日には、1行読むごとに文面に動揺して休憩する有様になり、読書の所要時間はかつての5倍になった。
しかし、すっかり本を読めなくなったからと言って、本を買う快楽や見かけた本屋に吸い込まれる習性が消えてなくなるわけではない。
それどころか、経済力が増し、ネット購入でアクセスできる範囲が広がったいま、購入する量は明らかに増えている。
意識の上では、購入量を控えに控え、欲しい本は精査に精査を重ね、購入支出を絞りに絞っているつもりだけれど、現状部屋には千冊近い、一度も読んでいない本が積まれている。
もちろん背表紙を眺めて満足するためではなく、なんとしたって読みたい、と思ったからこそ買ったのだ。
ここ数年の記録によれば、読んでいる本は平均してせいぜいが月2冊ということになっている。
3年間で読んだ本の冊数は100冊に満たないが、その間に購入している本は、ざっと見ただけでも300冊を超えている。
未読本の山は増える一方である。
推定年間100冊の購入ペースが仮に続いたとして、どのようなペースで読めば積んだ本を読みきれるのか。
健康状態や、将来的な機能の衰えを勘案すると、長期的な計画はあまり現実的ではない。
3日に1冊では一生終わらないことが予見される。
2日に1冊だと十数年がかりになる。
1日に1冊は、挫折のリスクが高すぎる。
従って、3日で2冊、6-7年計画あたりが、ギリギリ現実的なラインではないかと思う。
もしかしたら年間50冊しか買わない年もあるかもしれないし、一部の本は、読まなくてもいい、という判断になるかもしれないし、そういったことが重なれば、時間は短縮されるかもしれない。
ついでに1000冊ぐらい積んでいる、という絶望的目算が、実は過大な計算で、本の山の中の背表紙が見えていないうちのいくらかは、いざ山から取り出してみたらもう読んだことがあって、実際には500冊ぐらいしか積んでいなかった、という事態も起こるかもしれない。
うまくいけば3年ぐらいで積んだ本をすべて読み切れるかもしれない。
考えているうちにだんだんやれそうな気がしてきたので、2月の第3週から、毎週一回読んだ本をnoteで報告していこうと思う。
仕事がらみの本とか、いまいちだった本とか、紹介するのに気が進まなかった本は、性格上端折ると思うので、報告冊数は、週に3-5冊ぐらいになるんじゃないかと思う。
厳密ではないけど、記録を義務付けでもしないと自分はやんないと思うし。
本当のことをいうと、直木賞『地図と拳』の小川哲さんが、web本の雑誌のインタビューで「文転した際に毎日一冊岩波文庫を読むことにした」と語っていたのをみて、いいなと思ったのが突然こんな無茶を思い至った直接の動機だったりする。
なんでもすぐいいな、と思い、浅慮にまねしようとする性質である。
金銭を与えると確実にえさ代になります。内訳はだいたい、本とコーヒーとおやつです。