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ぱさぱさとしたところから(門脇篤史)/ラッキーガールの道行き(生田亜々子)

ぱさぱさとしたところから

2021年2月14日


去年の6月末頃、8年くらい通っているバーに久しぶりに行った。


緊急事態宣言が解除になって6月に入ると、空気はそこまで張りつめたものではなくなっていた。感染状況がぶり返して来る前に、そのバーに一度顔を出しておきたいと思ったのだ。バーは京都の繁華街にあり、私はそこから電車で1時間弱の郊外の街に住んでいる。


バーの扉を開けると、「久しぶり」とマスターが笑っていて、妙に安心してしまった。まだ他の客はいない。久しぶりの来店を詫びながらカウンターに座り、生ビールを注文する。縁の薄いグラスに注がれたハートランドはきめ細やかな泡をたたえていて、やはり美味しい。


バーはとあるジャズレーベルの名称を冠したジャズバーで、鴨川沿いにあって、カウンターから鴨川が見えるのだけど「Riverside」ではない。お店の壁には今かかっているCDが飾られている。その時はビル・エヴァンスの「Evans in England」が壁に掛かっていた。エヴァンスのピアノが流れ、私はビールを飲む。興味を持ったそぶりを見せると、ジャズに詳しいマスターが解説をしてくれる。にわかの私は頷きながら聞く。


「Evans in England」は1969年に録音された音源だけれども、2019年に発売されたものだという。エヴァンスが亡くなったのは1980年。新譜が出たと言われると少し不思議な気持ちになる。Waltz for Debbyが流れてくる。エヴァンスが作曲したこの曲は、名盤中の名盤であるRiverside版「Waltz for Debby」(1961年)に収録されていて、もうとてもとてもリリカルなライブ演奏なのだけど、「Evans in England」に収録されているWaltz for Debbyは弾むようで妙に楽しそうな演奏だった。テンポも速い。「Waltz for Debby」で共演したベーシストのスコット・ラファロはこのライブ録音の後すぐに交通事故で亡くなり、「Evans in England」ではエディ・ゴメスがベースを弾いている。


「初期の名演の呪縛を感じるよね」とマスターは楽しそうに言う。「初期の名演の呪縛」は恐ろしいものだと、至極当たり前の感想を私は持つ。呪縛には、自分目線と他人目線があり、それはなおのことややこしい。ビールに飽きると、ペルノーのトニック割を飲み、ラスティネイルを飲んだ。「Evans in England」はディスク1が終わり、ディスク2の収録曲が流れている。


少しだけ新型コロナウイルスの話をマスターとする。木屋町には人出はあるが、スーツ姿の集団はあまりいないように感じた。この日は金曜日の夜だったが、私が店にいた1時間強の間、私以外に客はいなかった。また来ますと言って店を出た。


その後、そのバーには一度も顔を出せていない。万一私が感染したら、担当している事業が中止になりかねないので、夏ごろからは京都市内や大阪に出るのは止めてしまった。仕事が落ち着いたのでそろそろ行くかと思っていたら今度は感染状況が悪化し、あれよあれよという間に京都にも緊急事態宣言が出て、そのバーも休業している。言い訳めいたこの文章を書きながら小さく苛立ってしまうのだけど、その苛立ちは本当にいろんなものを含んでいて、途方に暮れてしまう。



この1年間、都市によって規定された郊外という場所で、しかも生まれ育った場所でもない異郷の郊外の街で、都市と表面上の関わりを持たない暮らしをしている。それはそれでまったく悪くはないのだけど、縁のない場所で粛々と暮らしていると、〈私の一生とは?〉と沼のような自問をはじめてしまう。これまではその沼にはまらぬように、京都や大阪の街中で酒を飲み、歌会をし、買い物をしていたのかもしれない。


最近、虫武さんのこの一首をよく思い出す。異郷の郊外都市に住みだして10年が経ったのだが、まだまだ慣れるには至っていない。


ドーナツ化現象のそのドーナツのぱさぱさとしたところに暮らす
虫武一俊『羽虫群』



※この文章を書いて間もなく、京都府下の緊急事態宣言は解除されました。行きつけのバーも営業を再開しましたが、巡りが悪く行けていません。また、頃合いをみて、ハートランドの生ビールを飲みに行きたいと思っています。


プロフィール
門脇篤史(かどわき・あつし)
1986年島根県生。未来短歌会所属。Too late同人。ごはんを作ったり、短歌を作ったりして暮らしています。2019年に第1歌集『微風域』を出版し、同歌集で日本歌人クラブ新人賞及び日本一行詩新人賞を受賞。



ラッキーガールの道行き

2021年3月20日


私はそうじゃないはずだった。


団塊ジュニア世代で就職氷河期一期生、それはもう生きにくいこれまでだったけど、祖父のように大地震や津波に遭わず、祖母のように頭の上から雨のように爆弾が降ってくることもなく、スペイン風邪のようなやばい伝染病にも遭わず、遠い昔の予言にあった空から来る恐怖の大王と邂逅することもなく、平穏の時代と場所にぴったり生まれ合わせた超ラッキーガールだと思ってきた。

もちろん乗っかってきた安穏とした環境を守るべく、用心深くやってきた。歴史学科出身、調べ物が何より好きな私は過去の文献を探した。災害の記録、特に市井の人の書いたものはためになる上に面白い。読み漁っては対策を立てた。熊本地震ではそれが奏功して私も疾患を持つ下の息子も大変ではあったけど大した実害もなく乗り越えることが出来た。なんだかんだあったがラッキーだった。

それがおかしな流れになってきたのは一昨年の暮のこと。海外発のニュースにあった奇妙な感染症についての報告。年明けすぐには日本でも武漢で謎の感染症と報じられた。遠いところの話と思いつつもその頃から古い感染症の資料を探して読み、日々の日記をつけるようになった。

果たしてそれはあっという間に身近に迫って来た。豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号での大量感染。当地熊本では紙の買い占め騒動があった。両手に紙製品を握った人々の、切羽詰まった独特の表情を目の当たりにしてフラッシュバックする熊本地震直後の記憶。息子たちは3ヶ月に及ぶ長い休校に入る。下の息子のクラスの役員として、楽しみにしつつ企画した保護者親睦会はこの期間に中止となった。

このあたりから完全な非常事態に入っていく。私と下の息子の持病は違う疾患ながらも感染すれば命に関わると言われるものであるから、身を守るために私は対面の音楽の仕事と演奏をやめた。音楽は私を構成するものの一つで、これまで長く、途切れること無く音楽に関わってきたが楽団をやめ、依頼が来る編曲の仕事だけにした。
しかしオットは物流に関わる仕事をしている。投げ出せば世が麻痺する業種である。人と接する機会が多く、ということは感染リスクも高い。親が感染すれば疾患を持つ上に濃厚接触者になる息子の日常の手助けを誰がするのか。結構な崖っぷちである。しかもマスクは品薄でこれ以上出来ることもなく、崖っぷちに棒立ちするしかないことに呆然としていた。

八方塞がりの思いを抱えた3月終わり、子らはとてもお世話になった先生と転勤によりお別れすることとなった。通常なら遠足、お楽しみ会と別れを惜しむことも出来たのに何も無し。緊張し、ささくれた日々。日記は次第に詳細かつ長くなり、参加する短歌誌において「己呂奈(コロナ)日記」という名で連載がスタートした。

6月、学校が再開。その初日、下の息子を送った学校でたくさんの先生や子どもと肘でタッチした。とても嬉しい瞬間で、これで救われたと思ったものである。そのまま上向いていくものと思いきや、ここから私は体調を崩す。どこも悪いところのない腹痛、だるさ。これは私の宿痾でありストレスとなるものがあってしばらく経つと出てくる症状。ここでやっと自分が抱えていたものに気がついた。

もはやラッキーと言うには雲行きが怪しくなってきた。生きるために大切なものをどんどん切り捨てて、気がついたら裸に近い姿の私がここに居る。未感染ならいいってもんじゃない。心と体がそれなりに揃って人は人として暮らせるというのに、肝心の心がからからのかすかす、過剰に空っぽなのだ。
このまま引き下がるわけに行かない。まだ人生は続くのだ。これでは生きていけない。
私に何が出来るのだろう。そう思い探って、出てきたのは「残す」ということだ。今より先の世界への手紙というか、申し送りとして。世は移り変わるがいつの世も人は変わらない。私達と同じく問題に際して惑い、解決するべく行動したはずであり、その軌跡は後の時代を生きる者のヒントとまではならないまでも、力づけられるような思いがするものである。

今まで私が読み漁ってきた資料のようにこの自称ラッキーガールのことも、書けばいつかの誰かのためになるかもしれない。俄然わくわくしてきた。意趣返しとしては弱いが、これには希望がある。せめて、枯れ果てた気持ちを生かしてくれるのは希望なのである。

病禍との戦いは続く。決着はまだ着いていない。ラッキーガールとして逃げおおせる可能性もまだ十分にある。この道行きをいつか誰かが面白がってくれたらと思いつつ、こうして文字を綴っている。

プロフィール
生田亜々子(いくた・ああこ)
歌人、俳人。2017年に「戻れない旅」300首で第5回現代短歌社賞受賞。著作に第一歌集「戻れない旅」(2018年)、「地震と歌と生活と 熊本に暮らす歌人が出会った熊本地震」(2019年)。歌人集団『かばん』、現代短歌・南の会『梁』、『虹』短歌会所属。個人文芸誌「屏風と靴」発行人。熊本県熊本市在住。
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熊本の短歌誌『虹』において、コロナ禍の毎日の記録に短歌と俳句を添えた『己呂奈(コロナ)日記』を連載しています。近日中にこれまでの己呂奈日記をまとめた冊子と個人誌「屏風と靴」11号の刊行を予定しています。


PDFはこちら

https://drive.google.com/file/d/16PrOYNN1jnmP8L4KBeH2eW5atL7V8_dy/view?usp=sharing

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