鉛筆(藤本玲未)/ぽろぽろぽろ(龍翔)
鉛筆
2021年7月23日
このごろの心象風景は森の中だ。山のふもとで、適度に日の光が差し込み、川のせせらぎと鳥のさえずりがきこえる森だ。鬱蒼としてもいないし、じめじめと暗くもない。ただ一人である。一人で、木の根っこにつまずきそうになったり、ぬかるみに嵌まりそうになったり、そこらへんの実を食べてみたらあまりに酸っぱかったり。
それは私の不注意だ。そして雨が降るのは自然なことだし、暑くても寒くても、天候は仕方がない。こちらは備えるのみ。でも、備えてもどうしようもない場合がある。例えば熊よけの鈴を鳴らしていても別の生き物に遭遇したり、いや、もっと恐ろしいことも世の中にはあるだろう。その都度、それなりに対応するしかない。今までもそうしてきたし、これからもきっとそうする、と思う。
今回は「パンデミックとわたしと」というテーマなので、コロナに強く影響を受けたのは「短歌の私」ではなく「仕事の私」。
私は、教育にたずさわる仕事をして8年目になる。現在の住まいは東京。コロナに関しても、おおむね東京の感染状況を注視している。今日(2021年7月21日)は仕事上の必要があって、コロナに関連するカレンダーをグーグルで検索した。
今が第何回目の緊急事態宣言で、まん延防止措置はいつからいつまでだったか、混乱したので。ともあれ今は第4回目の「緊急事態宣言」だそうだが、肌感覚では、東京の朝夕の人出はほぼ変化がない。私は通勤し続けているし、連日の猛暑の中、マスクをして外にいると、道路で干からびたミミズが目に入る。早朝のニュースの天気予報では「危険な暑さのため外に出ないでください」と言われている。
仕事中のマスクの着用、消毒作業には慣れてきたものの、国や都からの最新の情報を把握して整理しないと、結果的に誤情報を伝えることになってしまう緊張感、感染状況による仕事のスケジュールの変更。一手、二手先を読んで準備してきたことが無駄になる。どんなに怒っても、悔しがっても、恨んでも、感情が波立つとそれだけで疲弊するので「仕事の私」は感情のはしごを外している部分がある。
当然ながら「仕事の私」と「自宅の私」も違う。「自宅の私」は見せられたものではない。「自宅の私」は、負の感情の澱をぼんやりと眺めている。
手元の2021年の手帳をみると、7月19日(月)が海の日、7月22日(木)と23日(金)は平日になっている。オリンピックの関係で祝日が変更される前の印刷だろう。
森の話に戻ると、どうして一人なのだろう、と我に返る。2020年から2021年にかけて、私は人と関わってきた方だとは思う。ありがたいことに仕事は続けられているし、会う人は限られているけれど、社会と断絶された状況にはない。
ただいつもの人間関係は、もっと複雑で有機的で、わけが分からないものなのだろうと思う。ふと思い立ったときに、誰かに会いたくなったり、もう二度と誰とも顔を合わせたくないと思ったり、自分の気持ちもしょっちゅう変わる。
「さっきそう言ったじゃん」がひっくり返るような矛盾に満ちたやりとりのなかで、もし出来たら、いまの季節なら好きなだけ青島ビールを飲んで、焼き餃子と青菜炒めを頼み、打ち上げ花火の音が聞こえる店内で、根も葉もないことを話題にして大笑いしたい。都議選の消毒済みの鉛筆で、どうかより良い未来につながりますようにと願ったけれど、私はもっと思う存分、くだらない夢がみたい。
プロフィール
藤本玲未(ふじもと・れいみ)
1989年東京都生まれ。「かばん」会員。歌集『オーロラのお針子』(書肆侃侃房、2014年)。
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『ねむらない樹』vol.7にコラム「かつての歌会のお菓子文化に関連して」が掲載されています。
ぽろぽろぽろ
2021年10月17日
クラスター発生せり、と夏季休暇明けに伝へらるる非常勤
あたらしき業務加はる ドアノブは一日二回消毒をせよ
ふるへつつ樹冠を描く指先をアクリル越しに見つめてをりぬ
口角を上げて見せたり 不織布のマスク外して汗を拭くときは
静かなる執務室にも〈昼が来た〉と中井貴一のこゑの響けり
ひとことも喋らずに食むおにぎりの鮭のぽろぽろぽろとこぼれる
アルコールジェルを垂らせばゆつくりとてのひらで滅びゆく王国
わたくしの中途半端な共感はフェイスシールドに遮られたり
折り曲げたひとさし指の関節でエレベーターのボタンを押しつ
地下鉄の広告で見たイベントが案の定よく燃えてゐるなり
コロナ禍で職を失ひましたといふひとに運んでもらふかつ丼
丸三日こもれるほどのパンを買ふ 今日宣言は解除されたり
わたくしのマスクのひもを引き上げて美容師はもみあげを切りたり
ゆふがたの風涼しくて刈り上げが秋の気配を感じてをりぬ
友だちのかほを久しく見てゐない とほくでないてゐる法師蝉
プロフィール
龍翔(りゅうしょう)
1983年生まれ。臨床心理士。歌人。無所属。
Twitterアカウント→oppizuntsuan
PDFはこちらhttps://drive.google.com/file/d/1XhFyt5FloKl9eNgAdLndbScPwD-j2Joo/view?usp=sharing
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