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古本屋は『普通』に開いているほうがいい(みつづみゆきこ)/パンデミックとわたしと詩歌(笹川諒)

古本屋は『普通』に開いているほうがいい

2020年7月23日


じわじわと日常が奪われていってしまうのではないか。そう思えた2020年の春。


まちのちいさな古本屋である「古書みつづみ書房」は、書店、古書店、図書館が動きを止める中でも休まず通常営業していた。それは7月の今も続けていて、結局わたしは、大半の人が過ごしていた「巣篭り」「自粛」生活を経験していない。


店を休業して自宅でじっとしていなかったのは、会社勤めの夫がリモートワークでずっと家にいることになったため、リスク分散という理由もあるが、「こんな時期だから「本」を求める方のために店を『普通』に開けておきたい」という理由もあった。

1月。神奈川県で日本初の感染者がでた(中国からの帰国者)という報道があった頃、そのニュースを自分と関係があるとは思うことはなかった。


2月。横浜港に到着しているクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の中で陽性者が増え続けていた。運悪く遠くから持ち込まれたウイルスは船内で食い止められるだろうくらい軽く考え、対応の是非について訳知り顔でしゃべっていた。


3月。伊丹市内の介護老人保健施設でクラスター(感染者集団)が発生。クルーズ船から帰ってきた人が原因だという噂が、ネットではなくダイレクトに耳に入った。予定していたイベントが中止になりはじめ、とうとう図書館や公共機関が休館となる。

4月。ついに主要都市に緊急事態宣言が出る。業界ごとの休業要請、外出自粛要請がでて、国内の1日の患者数が762人となる。ヨーロッパやニューヨークなど世界の主要都市の医療崩壊のニュースが連日繰り返され、スーパーマーケットの棚からマスク、ティッシュペーパー、トイレットペーパーが消え、お米や粉、乾麺などが品薄になった。そして大型書店までもが休業となる。

ひたひたとコロナの影がしのび寄る。見えない恐怖にじわじわと「日常」が奪われいていく感覚は、戦争に突入していくときもこんな感じだったのだろうかという思いを抱かせた。このまま「異常」に飲み込まれないように『普通』に店を開けておくことが、何かしら安心感を感じてもらえるのならそうしたい。少なくとも私が客の立場なら、開いている本屋があれば飛び込んでしまうだろう。この思いははずれてはいないようだった。

「開けてくれていてありがとう。ちょっと何か探させて」、「こんなところに古本屋さんがあったのね」、「孫のために絵本をたくさん買っておくわ」と、常連さんも初めてのお客様もたくさんお越しいただいた。

夜遅くまで働いているエッセンシャルワーカーの方や医療従事者の方々のために、閉店後の夜間、店前にワゴン台を出して100円均一の文庫を並べた。まるで「国道沿いの野菜の無人販売」のようにお代金は備え付けの缶にいれてもらう。均一本は毎日少しずつだけど確実に売れた。新聞に取り上げられたこともあって多い夜は20冊近く売れたこともある。お代金をいれていただく缶と一緒に置いていたリクエスト・ノートには「ジョギングで通りかかりました。「西行」と「泥の川・蛍川、道頓堀川」の2冊をいただいて帰ります」や「猪名野神社へのお参りの帰りに見かけました。モンテ・クリスト伯を購入しました」
「星の王子様」読みたいです。お願いします」という書き込みもあった。

並ぶ本の背表紙を一覧するだけで落ち着くような人は必ず存在する。そんな方々に夜中の文庫ワゴンがちょっとした安らぎを提供できたなら、こんなにうれしいことはない。まさに古本屋冥利に尽きるというものだ。手にしてくださった理由は人それぞれだろうけれど、確実に「本を買う」、「本を読む」という行為は『日常』感を維持するために多少なりとも役に立ったはずだ。

この先もどんなことになるのか想像もつかない不安な日々。ひょっとすると自分が感染してしまうかもしれない。もちろんそうならないように細心の注意を払いながら、次にどんな要請があっても、「古書みつづみ書房」は『普通』に営業しつづけるつもりだ。


プロフィール
三皷由希子(みつづみ・ゆきこ)
兵庫県伊丹市「古書みつづみ書房」店主。1966年豊中市生まれ。立命館大学卒。長年の印刷会社勤務を経て2016年伊丹市に『古書みつづみ書房』をオープン。一箱古本市など古書イベントの企画や、まちライブラリーサポーター、伊丹市立図書館ことば蔵での市民活動など〈本のある場所〉づくりにも携わる。家族は夫と猫2匹。


パンデミックとわたしと詩歌

2020年7月24日


新型コロナウイルスによるパンデミック下で感じたことを、この期間に読んで強く胸に残った詩歌の作品を添えながら、書いてみます。

街はもうこども裁判所の様相に
(暮田真名)

私は三田三郎さんと『MITASASA』という文芸ネットプリントを定期的に発行している。ネットプリントは、コンビニのコピー機を通じて、自由にコンテンツを配信できるサービスだ。

第十四号にはゲストとして川柳作家の暮田真名さんの参加が決まり、準備を進めていた。ところが、発行日が近づいてきた頃、新型コロナウイルスの影響で不要不急の外出の自粛が求められるようになった。

根拠のないトイレットペーパーの買い占めやマスクの争奪戦によって、街には混乱の気配が漂っていた。ネットプリントの宣伝をすることはコンビニへの外出を促すことでもあるので、考えた末、ネットプリントとして配信もしつつ、希望する人にはメールでコンテンツのPDFデータを送ることで、自宅にいながらでも読んでもらえるようにした。

まさか、たった二人で細々と発行しているネットプリントが、未知のウイルスによる影響を受けるようなことがあるとは思っていなかった。


みづうみのなかに小さき墓地ありきいづれの世にか呼ばむ「東京」
(笹原玉子)

「首都封鎖」という言葉を、毎日のようにニュースで聞いた。「緊急事態宣言」なんて、まるで「エヴァンゲリオン」とかのセカイ系アニメに登場する用語みたいじゃないか、と思った。

セカイ系について簡単に説明すると、終末が迫る世界の命運を(おもに)男女二人が担い、その二人の間の関係性がそのまま、世界の運命に直結するような作品群のことだ。

たとえば、昨年話題になった新海誠監督のアニメ映画「天気の子」もセカイ系の作品で、詳しいストーリーは省くけれど、最終的には、主人公の男の子が東京の大部分を水没させることでヒロインの女の子を救出するという物語。

ツイッターを何気なく見ていたら、「今のコロナ危機は、この世界の誰かが〈世界の危機を救う〉のではなく、〈僕と君の二人の関係が続く〉ことを選択した結果なのではないかと想像してしまう」というような内容のツイートがあった。何だか目まいがした。

これまでは空想やファンタジーの領域でしか起こりえなかったような事態が現実のものとなっているということを、改めて実感した。


黙るしかない日の雲の白ふかく世界が重いノートになって
(江戸雪)

三月以降、対面での短歌の歌会ができなくなり、Zoomなどを利用したオンラインの歌会が開催されるようになった。

その中で少し気になっているのが、「コロナ詠」かどうか問題だ。短歌という文字数の少ない表現形式では、新型コロナウイルスによる現在の状況を踏まえて一首を読むかどうかで、大きく解釈が変わってしまう場合が多い。

もちろん、歌会に出される歌にはコロナに全く関係がなさそうな歌も多いけれど、コロナ詠かもしれないな、と思う歌もそれなりにある。最近の私は、コロナ詠っぽい歌の場合は「二つの読みを考えました」と言って、コロナを念頭に置いた読みとそうでない読みを、完全にフラットな状態で二つ提示したりすることもある。

そこまでやるのは、少し敏感になり過ぎかもしれない。でも、電車に乗っていて、誰かが一回咳をしただけで(マスクはしている)、そそくさと隣の車両へ移っていく人なんかを見ていると、このパンデミックに対する受け止め方は一人一人全く違うんだなとつくづく思うし、時々は、もう何か発言するより、黙っている方がいいのかもしれないと思ってしまうこともある。


いつの日も川の水面に光ありどれほど空が疲れていても
(小川佳世子)

この文章を書いている七月二十四日現在、一旦は減少した新型コロナウイルスの感染者数が急激に増えてきている。

つい先日、やや不安な気持ちの中帰宅すると、発売を楽しみにしていた歌集がポストに届いていた。たまたま開いたページの歌に、抱きとめられるような感じがあった。どれほど空が疲れていても、小さな光のような詩歌の力を借りながら、この危機を乗り切れたらと思う。


<出典>
暮田真名「この世のベッドルームミュージック」『MITASASA』第14号
笹原玉子『偶然、この官能的な』(書肆侃侃房)
江戸雪『空白』(砂子屋書房)
小川佳世子『ジューンベリー』(砂子屋書房)


プロフィール
笹川諒(ささがわ・りょう)
長崎県生まれ、京都府在住。2014年より「短歌人」所属。「ぱんたれい」同人。第19回髙瀬賞受賞。新鋭短歌シリーズ第5期より、歌集刊行予定。
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