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いただきます。

欲とはなんであろうか。
例えば、目の前に転がる肉塊に対し抱く感情は食欲だけなのだろうか。
食物を欲するのは生きていく上で………生命を維持する上で必要不可欠な欲であることは普遍の原理であり、その欲求自体もまた、不変である。
食を通し、食物となった生命を自らの血肉とするために備えられた欲求である。
しかしながら、現代人にとって食とは生命維持のためだけに存在するものではなく、目で色彩を感じ、あるいは鼻腔を擽る香りを楽しんだり、当然のことながら味覚で味を愉むといったある種娯楽的な意味合いも存在しているのである。
そしてその中には、食そのものを愛するといった趣向もあるわけで、したがって食を愛するが故に食欲を満たすためだけでなく、空腹でなくても人は食事をする。
かようにして本来の欲とは異なった、ある種異物と言ってもいい欲求が存在しているのである。
そしてその異物と言っていい欲が食欲と逆転するとどうなるのであろうか。
愛ゆえに食したいという異物の欲が誕生してもこれっぽっちもおかしくないのである。
自らの血肉とする、ということは食した生命が、自らの生命が朽ちるまでの生涯、共に自己存在として生き続けるという解釈もできる。
専らこれは生物学的或いは栄養学的にいえば正しくないのではないかと思うが、哲学的に解釈すればそういう捉え方ができるのではないだろうか。
そこに愛するが故に食したい、という欲求が生まれた時、食せば自らの命が絶えるまで自己の中に生き続けるという解釈をした時、愛と食が結合してしまった時ーー。自らは愛欲に耐えられるであろうか。
その答えが、転がっている。
愛故に食したいと、愛と食が結合した現実が、今正に眼前にあるではないか。
だからこそ、頬を伝う冷たい雫すらもスパイスたるのであろう。

「いただきます」

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