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【東京は天ぷらと寿司とカレーなのか】

「東京は夜の七時〜the night is still young〜 」
byピチカート・ファイヴ

トーキョーは夜の七時
ぼんやり TVを観てたら
おかしな夢を 見ていた
気がついて 時計を見ると
トーキョーは夜の七時

あなたに 逢いに行くのに
朝から ドレスアップした
ひと晩中 愛されたい
トーキョーは夜の七時

待ち合わせた レストランは
もうつぶれて なかった
お腹が空いて 死にそうなの
早くあなたに逢いたい

2015年2月に最愛の夫ぽんが亡くなった。例年は東京へは年に5回ほど行く(コロナ禍を除く)。東京では、もっぱら寿司か天ぷらかカレーまたはラーメン及びbarを嗜む。神保町の「山の上ホテル」が、我がベースキャンプだ。しかして、下記はそのどこでもなく、どこでもあり。夜はとても深く、いつも若い。


2016年2月某日
【そんなのありかよ?】
週末は所用で、東京へ出向き、昼は銀座の「エッフェ」で難解極まりないイタリアンをワイン一本ほどで食し(苦味や癖のあるややこしい傾向および臭いチーズ好きな私としてはアリだが、普通にきちんとした美味しさを求める向きには、脱落感が半端ない)、夜は「すし家」にてアベレージ高めな丁寧な寿司を日本酒5合くらいで食べた(白魚、カジキマグロ、ノドグロ炙り芽葱巻き、生牡蠣、鱈白子焼き、鮟肝、鮪3部位、鯖寿司、そして次々何貫も、詳細は実に失念したがまあとにかく手がこんでいるが、嫌味はなくて上手いのだ)。
翌日ランチは駒沢大学近くの「ネパリコ」にてカレーな定食を啜った。ノンベジセット・・・チキンカレー、ダル(豆)カレー、野菜カレー、アチャールに、ネパール餃子モモ、ホウレン草のソテー的サグー、マトンの炒め和えを追加して、いい加減な食べちぎりを敢行した。

そして帰宅し、今晩我が家にいる私は、夫ぽんの一周忌に関する親戚との打ち合わせあとに、びっくりするほど一人で泣いている。実際のところ、親戚とのやり取りはつつがなく、ほがらかに電話を終えたのだが勢い余って、ちと懐かしく、何とは無しに我が携帯電話(ガラケー)に保存された過去の夫ぽんとのメールのやり取りを見返してしまった。

夫ぽんからの「お迎えオッケー」とか「ちま(妻)かわいいかな?」「ちま(妻)はいずこ?」「津駅西口着」「白血球ダウン、吐き気なう」やら、具体的で短いメールのやり取りなのに、目にしたとたん、鼻水がだだ流れになり、うぐーうがーと遠吠えのごとく、ひたすら泣く。両目は瞬時にパンパンになり、目の下に皺が深く刻まれる。バカみたいに泣くのだ、久々だなあ。
夫ぽんのことを偲んでひっそりこっそり泣くのは時おりやってくる通常運転だが、狂おしくむせび泣くのは、まれになってきている。そんな中での、かっさらうかのようなこの衝動は訳がわからぬ。でも、激しく泣くと心地よいのも確かだ。
そんなぐしゃぐしゃな大泣きをしながら、鼻やら頬をひきつらせつつ、片手間のごとくな勢いで「ビオレメイク落としふくだけコットン」にてメイク落としをして、鏡にぱつんぱつんの顔をうつし、眉根を寄せ、これじゃあまるでナルシストな映像化だ。だがリアリティはあるな。夫ぽんを亡くし、日々を思い出し派手に泣けども、我はむくみを気にすると。

そんなものなんだろう、繰り返しわかっているけれど、だけれど、訳のわからぬ溢れてくる情動は、ときにいとおしく、強くは抱きしめやしないが、ゆるやかに大切に思おう。たぶんいつか、わかるかもしれないから。今の我が身にノーを言うことによる助け方もあるだろうが、ただひたすらに私は我が人生に、決してイエスとは肯定せぬが、案外嫌いじゃないから、と言おう。

2016年6月某日
【鳴く蝉よりも、泣かぬ蛍が身を焦がす】
週末は東京へ行っていた。土曜日の昼は参宮橋「ボニュ」で見島未経産牛のリブロースとシンタマを堪能した。鮎のビスクや空豆のニョッキも、素材を抽出した美味しさがある。私も老いた未経産牛のごとく、マシュマロのような脂と年月を経てなお力強いエッセンスを蓄えたゼラチン質を身体に含み、ふくよかに歩みたい。
夜は銀座「とかみ」にて、寿司を食べる。たっぷりの量と、とろける味わいに、魚介が胃の腑をたぷたぷとたゆたう。ラストは「bar耳塚」で、パッションフルーツ、スイカ、桃、フルーツトマトのカクテルなど6杯ほど飲み、新橋の投宿先に向かった。ふと、ホテル裏の神社に、茅の輪くぐりがしつらえてあることに気がつく。烏森神社の夏越しの大祓えのようで、ふらふらと階段をのぼり、茅の輪をくぐってお詣りしておく。
日曜日は(夜見る)夢のワークに参加し、私の下記の夢を扱ってもらった。亡き夫ぽんの気配のない夢であったが、存在のありかたについて感知し思考のネットワークを張り巡らす。記憶はどのあたりまで存在に関与し、消滅と生起し続ける意識(自我)のようなものは、いつまで私と共にあるのだろうか。


夜になり、私は実家の薄暗い和室にいる。外から父と弟が帰ってきて、蛍を捕ってきたと、壁越しに明るく勢いのある声が聞こえてくる。
部屋の片隅に黄緑色のプラスチックでできた虫籠があり、蛍をよく見ようとすると、すでに籠の外に出ている。蛍かあ、光るのかなあ、と近くに寄って見ると、ミヤマクワガタとか甲虫みたく、焦げ茶色のガンプラ(ガンダムのプラモデル)のごとくな、ごっつい姿をしており、でかいし硬い鎧に覆われたような身体で、おお、これは源氏蛍ではないぞ、なんだこの蛍は、と惹き付けられる。
気がつくと、蛍は居なくなっていて、私は寝ようとしていたところなのに、敷き布団で踏み潰してしまったらどうしよう、と思う。

ドリームワーク(夢の中のセルフselfとアザーotherを体験する、詳細は省く)で体感したのは、この蛍のなかは、コックピットになっており、空間を多眼的に捉えており、そこから見える外の世界を、冷静でありつつ全てを感知しておった。
昼間は赤坂見附「揚州商人」で冷やし担々麺をすすり、夜は東京駅の「釜たけうどん」で、竹輪天and半熟玉子天ぷらぶっかけうどん(冷)、ポルチーニ茸のクリームソースかけ洋風おでんの大根、炙りしめ鯖でざざっと腹を満たす。
今年は結局、蛍を見ぬまま梅雨を過ぎ行くのだが、川の流れと幽かな震動に同期して、仄かに明るく灯(とも)ったり消えたりしつつ、ああ、闇に紛れよう。私は静かに羽を閉じ、露草にとまる。

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