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読切小説/女の独白劇と癖の話_20210615

私は真一さんに会うため生まれてきたんだと思っております。

彼との出会いは、私の職場でした。所属する会社は異なりましたが、彼は出向のような形で一時、私のいた会社に席を持っておりました。自分でも驚くことに、初めて彼を見た時のことを覚えています。私は正直なところ、あまり他人に関心がある人間ではないのです。だから他人のことを自分の中に記憶することもほとんどありません。

でも初めて真一さんを見た時、同じ匂いのするひとだと思いました。なんと言えばいいのか、やはり同じ匂いというのがいいように思いますが、通ずるものを感じたんだと思います。だから咄嗟に、初めて見た彼の姿を記憶に留めて、その記憶が今でも仕舞われています。

私には根無草のようなところがありました。ひとところに留まったという感覚がないのです。それは環境だけでなく人間に対してもそうでした。家族に対してすらどこか異質なものを感じておりました。それは決して家族が私を冷遇したわけではありません、家族は愛情を持って私に接してくれました。ですから問題があったのは私の方で、私は家族にすら、どこか分かり合えない気持ちを感じてしまうのでした。私は私の世界に対してお互いに、言葉は理解し合えるが何故その言葉を使ったのか分からない、本当の意味で言っていることが通じない、といった燻りが長くありました。

この燻りはやがて私にある癖を付けました。私は他人を試すことが癖になりました。この癖はは日常の何気ない時に現れて、実に自然に私の一部となりました。私は些細な雑談の中で、思っていることと反対のことを言ってみるのです、私にとっての真実を嘘のように語り、嘘を真実のように語ってみるのです。高慢だと思われるかもしれませんが、もし相手が私に好意を抱いていた場合には、特に大袈裟にやってみるのです。

そして私は願います。どうか見破って欲しいと。はやく気がついて欲しいと。

しかし、私の癖を見破る人は現れませんでした。思えば当然です、私は無いものを求めていることに、自分でも気がついていました。やがて自分でも自分の真実が何処にあるのか分からなくなることもありましたし、反対にこの癖の最中にだけ自分の真実があるような気もしていました。相手を傷つけるつもりはありませんでした、むしろ自分だけが傷ついて、そのわずかな痛みになんとも言えない慰めを感じていました。

私の癖は直りませんでした。そんな時に、真一さんに会いました。驚きました、真一さんは私の言葉を理解していました。私は初めて自分の輪郭のようなものを知りました。私には、私が真一さんで、真一さんが私のように思えました。真一さんに家族がいるのは知っておりました。それでも私には分かりもしない他人の心や人間がつくった道徳よりも、真一さんと同じ時に生きている、出会っているという、自分の事実の方が尊い気がしました。私には、自分は真一さんと出会うために生まれてきたのだと思えました。

時間にすれば、一年に満たない時間だったと思いますが、私は私の人生を生きました。それ以降は、余生です。私が生きた時間は誰かから奪ったものですから、なんの償いになるのか分かりませんが、私は余生の中で、真一さんの幸せと同じくらい私が奪った誰かの幸せを祈っておりました。もう一度、会いたいとは思いませんでした。いえ本当は、どうしようもなく真一さんを思い出す夜がありましたが、気のせいだとやり過ごしました。

私は思い残すことはありません。死も怖くありません、私はもうずっと前に死んだのです。ただ最後に願いを話すなら、私が土になって何かの生き物の一部になったら、その新しい心と体でもう一度、真一さんに会いたい。因縁も意味も何もない場所で、自然に出会い、自然に同じ時を生きてみたいのです。



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