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読切小説/忘れたくない人StoR_20211022

「同窓会の企画しようよ」
 誰かの思いつきの一言で、僕らは三宮駅のスターバックスに集まっていた。
 36年、僕は流れに身を任せて、この街にいる。ここで生まれ、ここで育ち、なんどもなんどもこの場所を通り過ぎてきた。そんな僕にとっては、この店ももはや日常の一部だ。
 この年齢になると、家庭を持っている奴とそうでない奴が、ひと目で分かってしまうようになる。当然のことなのだろうが、僕からすると家庭を持っている奴からは地に足のついた落ち着きを感じる。なんだか自分より、ずっと先を生きているように見える。その感慨が憧れなのか、はたまた反対のものかは分からない。集まった4人のうちでは、2人が前者で、僕はどう見ても後者で、栗木くるみも後者だ。ひとりで生きていると高校時代なんてついこの前のような気もするのだが、18年という歳月が間違いなく過ぎていることは、周りの人間を見ると実感させられる。
「おーい聞いてるか、真一」
 目の前に座っている田中が、呆れた顔で僕に言った。
「え?ああ、聞いてなかった」
 たったそれだけのやり取りで、僕らのテーブルには笑いが起こる。気のいい、明るい奴らなのだ。なんの屈託もなく高校の同窓会をやろうと考えるような、幾つになっても気のいい明るい奴ら。
 僕は今だに、どうして自分がこのメンバーに入っているのか、よくわからない。中学までは大勢にまぎれているような人間だったし、高校に入ってからも僕の性格はそれまでと何も変わっていなかったと思う。でもなぜか気がついたら、高校での僕は学年でもよく目立つグループの輪に入っていた。
「あいかわらずだなあ、真一は」
 僕の隣で、20代にしか見えない栗木が無邪気に笑いながら言った。あいかわらず、とか、真一、とか、そういう分かったような言い方を、なんの嫌味もなくできるのは栗木のいいところだと思う。誰の前でも素直で、明るくて、影がない。そういう性格はどう考えても、長所なはずだ。
 自惚れるのは好きではないが、おそらく栗木は、今も僕に好意を持っている。
 高校時代、告白のような言葉をなんどか栗木からもらった。断る理由はなかったが、受け入れる理由もなかった。
 僕がそんなことをしている間、璃子はいつも放課後の教室で黙々と勉強をしていた。
「真一」
 璃子はまるで、内緒話をするように僕を呼んだ。それ自体が秘事のように、誰にも聞かれてはいけないことのように。
 中学では、あまりに仲が良すぎて授業中にクラスメイトの前で揃って叱られたこともあった。でも高校では交友関係の違いからか、なんとなく距離ができてしまった。それでもたまに話をするときには、璃子は変わらない言い方で僕を呼んだ。
「真一」
 その囁きを、僕は今でもはっきりと思い出せる。

「ところでくるみと真一は、プライベートで何か進展ないの?」
 栗木の前に座っている同級生が、そう言いながら意味ありげな目を栗木と僕に向けた。
 彼女と栗木は中学からの同級生で、面倒見のいい彼女は高校時代から折りに触れて、栗木と僕をくっつけようとしている。
 どんな成り行きだったかは忘れたが、大学の卒業間近にみんなで旅行に行ったことがある。行き先は、沖縄か北海道のどちらかにしようとなり、女性陣はなぜか北海道を強く希望した。僕は、どちらでもいい、と言ったものの、田中が沖縄じゃないと行かないとゴネて結局沖縄になった。沖縄旅行はレンタカーを借りてメジャーな観光地を回るいかにもな若者旅行だった。そして僕が運転をするときは助手席には必ず栗木が座っていたし、夜に酒の買い出しに行くときには気がついたら僕と栗木はふたりで歩いていた。飛行機の席は行きも帰りも僕と栗木が隣だった。とにかく旅行中、僕の隣には不自然なほど完璧に栗木がいた。
 旅の間僕は何度も、北海道じゃなくてよかった、と思っていた。沖縄でよかった、ではない。北海道じゃなくてよかった、だ。特に、みんなで騒いでいる時や、栗木とふたりきりになった時。僕は不意に、ここが北海道じゃなくてよかったと、思った。もちろん僕と北海道の間には、なんの接点もない。たったひとつ、璃子という存在を除いて。
「ない」
 僕の発言のあと、栗木も口を開く。
「私も。付き合ってる人もいないし、仕事も嫌いじゃないし、もう結婚もいいかなって感じ」
「じゃあふたりでくっついちゃえば。仕事人間同士ちょうどいいじゃん」
 本気とも冗談ともつかないような言葉に、僕も栗木も、田中も、なんなら言った本人も、本気にも冗談にもならないような笑いを返す。10年前なら囃し立てる声も上がっただろうが、僕らはすっかり大人になっている。誰も傷つけず、自分も傷つかない生き方を、身につけている。

 僕は流れに身を任せるように地元の大学に進学し地元で就職をした。
 それが当たり前だと思ったのだ。地元という引力に、生まれの定めに、誰もが抗わず生きるのだと思っていた。だから歳をとっても、それぞれの人生を歩んでも、どこかで繋がっているのだと、不意に駅ですれ違うのだと、そう信じていた。
 なぜ、信じていたのだろう。
 それが当たり前ではないと気がついたのは、20代も後半に差し掛かった頃だった。まるで示し合わせたかのようにバタバタと結婚する同級生らの式に呼ばれ、永遠の愛を誓い合うかれらの姿を見て、僕は自分の間違いに気がついた。
 みんな自分の道を生きていたのだ。流れに身を任せていたのは、僕だけだった。
 大学以降、僕にも何人かの恋人がいた。
 はじまりはいつも相手からで、別れもいつも相手からだった。僕は僕なりに、彼女らを大切にしていた。傷つけないように、そして傷つかないように。でも最後には泣かれた。なぜか皆、あながた分からない、という言葉をぶつけながら。
 一年前に別れた恋人もそうだ。お互いに、結婚は望まない、仕事を優先したい、と公言するような関係を3年続けたある日、彼女は泣きながら言った。
「結婚とか仕事とかそういうことじゃないの、真一は私のことを大切に思ってるのかって聞いてるの」
 大切に思っているはずなのに、僕は彼女に何も言うことができなかった。
 別れの後は、毎回なぜかホッとした。そしてそんな自分を最低な奴だと思い、その自己満足な気持ちにうんざりすることで、自分をまた責めた。そうして、やっと許された気分になることができた。
 そうまでしても流れに身を任せるようにしか生きられない僕は、いったい何を待っているんだろう。
 学生時代には派手に遊んでいた田中ですら、社会人になった頃から
「そろそろしっかりしろよ」
なんてことを言うようになり、あっけなく結婚をして今では二児の父親だ。
 でも、そうして次々と自分の道を決めてゆく同級生たちを見ても、僕はなぜか自分の生き方を変える気にはなれなかった。
 僕にとっては、流れつづけることよりも、動けなくなることの方が恐いのだ。誰かと永遠の愛を誓ったり、なんの繋がりも残らない場所へ行ったりして、取り返しのつかないことになることの方が、僕には恐いことだった。

 SNSのページに映る璃子はあの頃よりもほっそりとしていて、当たり前だが少女ではなく、女性になっていた。表情は隠れているものの、それでも分かる物憂げな気配は、間違いなく、璃子だ。
 璃子のことは、青春時代の綺麗な思い出として補完してある。流れながら生きることの言い訳に、璃子を使うようなことはしたくなかったからだ。
 でも画面の中にたしかに存在している大人になった璃子を見た時、僕はそんな建前をすべて忘れてしまった。
 苗字は変わっていないし、左手の薬指に指輪はない。写真の背景は、おそらく札幌の街だ。
『璃子は璃子のまま、今も北海道にいる』
 その確認は一瞬の間に、無意識に完了していた。
 もしかしたら僕は、この瞬間をずっと待っていたのかもしれない。

「残念だったな、璃子ちゃん」
 コーヒーを片手に田中が言った。
 僕らはいつものスターバックスで、幹事として明日に迫った同窓会の最終の打ち合わせをしていた。役割の分担上、この日は田中とふたりだ。
『遠方のため、すみません』
 出欠アプリの璃子の欄には、欠席への○の横に、そんなメッセージが添えられていた。ただのデジタル活字だというのに、璃子が考え、璃子が選んだ言葉だと思うと、僕はそのメッセージを何度も眺めずにはいられなかった。
「あいつとは、小学校からの同級生ってだけだよ」
 僕は何かに勘づいている田中を誤魔化そうと、熱いブラックコーヒーを勢いよく飲み、くちびるを火傷した。田中の思惑通り、僕は璃子の名前が出たことに、自分でも驚くほど動揺してしまった。なんとか心の中に留めていた璃子が、実体をもって現れたような気がしたのだ。
「昨日見かけたよ」
「え?」
 僕は田中が何を言っているのか分からなかった。考えれば分かるような気がしたが、答えを知るのが、なんだか恐かった。
「璃子ちゃんだよ。昨日、見かけたよ」
 普段はふざけてばかりの田中が、やけに容赦ない言い方をした。でもその鋭い物言いが、僕の心をすっきりさせてくれた。
「どこで」
 僕は反射のように聞いていた。
「そこ」
 田中は顎をしゃくった。
「あの窓際のカウンターで、ひとりでコーヒー飲んでたよ。あれは間違いなく璃子ちゃんだった。キャリーケース持ってたから、帰省してきたんだろ。でもおかしいよな、遠方だからって欠席連絡よこしたのに、なんで同じタイミングで帰ってきたんだろうな」
 僕は田中の話を聞きながら、璃子が座っていたという席を眺めた。なんどもなんども通り過ぎたこの場所に、昨日、璃子が居たのだ。
「なんでだろうな」
 そう呟きながら、僕は36歳の璃子が、席に座っている姿を想像した。あの頃よりもほっそりとした体で、でもあの頃のような物憂げな気配で、璃子はこの店の、僕にとっては煎りが強すぎて苦すぎるコーヒーを、飲んでいたのだろうか。
「もしかして、同窓会には出たくないけど会いたい人でもいたのかな」
 田中の言い方は、まるで僕を挑発するようだった。
「でもまあ、偶然同じタイミングでこっちに用があったのかもしれないよな。なんかアンニュイな美人になってたから、結婚はしてなかったとしても、恋人くらいいるだろうな」
 僕は席から目を離せないままだったが、確かに、田中の言う通りだと思った。
「そうだな」
 僕が呟くと、それまで試すようだった田中が、一転して呆れたように大きなため息をついた。
「なあ真一。お前、まさか何もしないつもりなのか。お前自分の立場が分かってるのか。お前には守るものなんて、なんにも無いだろ」
「え?」
「なあ俺たちを見てみろ。俺たちみたいにすっかり守るものが出来ちまった人間にはな、もう出来ないことがあるだよ。お前だって、璃子ちゃんのページが子供の写真じゃなくて安心しただろ。お前はまだ何だってできる。別に告白しろってわけじゃないんだ。一回、一緒にコーヒーでも飲めばいい。それで色々分かる、そしたら前に進めるじゃないか」
 今度は僕が、大きなため息をついた。すべて田中の言う通りだった。

 なんという時代。なんというものを生み出してくれたのだろう、と思う。
 突然連絡をしたら、璃子は驚くだろうか。前触れのない申し出を、璃子は受け入れてくれるだろうか。
 18年ぶりであっても、僕は璃子のことが分かるだろう。でも璃子は、僕に気がついてくれるだろうか。
 僕の呼びかけに、あの囁きで返してくれるだろうか。
 僕は璃子に、何かを求めてしまわないだろうか。

 この街の、この駅の、この人混みは、僕の中にある特別な何かを、きっと隠してくれる。大人になった僕らにとって、どこにでもある世界的チェーン店でコーヒーを飲むことは、きっと特別なことではなく、ありふれた、なんでもないことになるはずだ。
 でもその瞬間、僕にとって日常の一部だった三宮駅のスターバックスが、特別な場所になった気がした。


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