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関東に来て7年目、話にオチをつける力が弱くなった

最近、話にオチをつける力が弱くなった。私は関西出身ではあるものの、元来話し上手ではない。それでも話に終わりがある方がいいだろう、ストーリーがある方がわかりやすいだろうと思い、密かにオチをつける訓練を積んでいた。

話にオチをつける自主練を始めたのは高校生の時だ。当時は勉強漬けで毎日が変化に富むわけではなかった。しかし、昨日とは違う日常の些細な出来事は何かしら身の回りに起きるものだ。

特に私が通っていた高校は男子校から男女共学に変わって間もない高校だった。男子の多いクラスで、同級生たちが互いにからかい合う場面は1日のうちに数え切れないほどあった。

ランダムに発生する肩パン、靴の片足だけ廊下の向こう側に放り投げる(互いに仲が良いもの同士で、かつ投げられた方は投げた相手のものを笑いながら放り返すのでイジメではない)、毎日四限目に必ず腹を下して授業中にトイレに立つ奴、トイレで遊戯王をしていて教師に見つかって没収される奴、自分は小便に来たくせにトイレの大便の扉が閉まっていたら必ずノックする奴。

果ては、教室で漫画の貸し借りをしていたらそれを廊下から見た教師が「お、エッチな本でも回しとるんけ!俺が学生の頃は必ずある奴で回覧が止まるから、そいつはブラックホールと呼ばれとったんや」と呵々大笑して立ち去るなど。

そのような出来事を眠りにつく前のベッドの上で思い出しては「どのようなストーリーにしたて、オチをつければ人に面白がって聞いてもらえるだろうか」と思案していた。私は当時から完全な夜型で、いつも寝つきが悪かった。今思い返すと、「寝つきが悪い時には楽しかったことを考えていれば寝れる」と自分がもっと小さい時に母親に教えてもらったことを実践していたのかもしれない。

口下手の自分が話し上手に一歩でも近づこうと考えたのがその訓練だった。当時はいつか役に立つだろうと思っていたが、すぐに話の聞き手があるわけでもない。家族仲は悪くなかったと思うけれど、高校1年生になる前のある出来事から両親が遠い存在であるような気がした。それ以来、食卓で両親は会話しているものの、自分からはあまり話さないし話したとしても最低限のことしか伝えなくなってしまった。

妻のおかげで以前よりは両親と話をしたり元気か気にかけたりするようにはなったが、当時は全然だった。そして高校生は忙しい。朝慌ただしく家を出たと思えば、学校から帰った後は塾に行き、家族と顔を合わせるのは夕飯くらいだ。後は自室に引きこもって勉強したり本を読んでばかりいた。

そんな生活で、家の中に常に話の聞き手があるわけではない。しかし学校では一つ前の座席にいた友人に、寝る前に組み立てた話を聞いてもらっていた。

内輪ネタということもありつつ、その友人K君はよく自分の話を聞いてくれた。しかし、自分が話の頭からオチ、果てはその話の感想まで話してしまうので、一通り笑った後に「俺の感想は聞かなくていいのか」と度々眉を顰(ひそ)めていたのを覚えている。

一人喋りになってしまうという弊害はあったが、K君は卒業まで仲良くしてくれて、たまにオススメの本を貸し借りしていた(K君のオススメ本は森奈津子の「耽美なわしら」「姫百合たちの放課後」だった。どれも2回読んだらしい。自分も読ませてもらった)。彼の父親は事業家で、自分の苗字がついたマンションを関西に所有しながらも億単位の借金をしていたという話が彼の口から語られた時、クラスが湧いたことを覚えている。億単位の借金!吹けば飛ぶような一介の高校生には想像ができなかった。

さて、高校を卒業してから10年後、自分はIT企業で働いている。自分の働いている会社では12時から始まる朝会(デイリー、スタンドアップミーティングなどとも呼ばれる)(もはや朝ではない)というものがある。その朝会では先週あったことを話すのだが、「さあ話してください」と言っても誰も手をあげて話そうとはしない。

そんな時、チームで最年少で意気軒昂たる若者だった自分は「先週こんなことがありました!」と食事の話や観光の話など、簡潔ながらも誰も迷子にならないように必要な情報を過不足なく話すようにしていた。

その頃は何でみんな話さないんだろう、きっと面白いことをしているはずなのにという気持ちが半分、そして何で自分は話すことがあるんだ?という疑問を半分ずつ心の中で持ちながら、必ずオチをつけるように話をしていた。思い返すと高校生の時の自主練習が活きていたのかもしれない。

しかし、本当に話がうまかったかはわからない。そして話をしてチームを活気づけようと熱い想いを抱いていたのももう3年前だ。

組織の再編がありプロジェクトが終わってそのチームは解散した。数年後、自分を含む何人かは転職して何人かはまだその会社に残っている。転職先の会社でも3年前と同じように朝会は12時から始まるが、我先にと話し始めるような青臭い情熱はもうない。

もちろん話題を振られればきちんと話はする。しかし、やりすぎかもと自分でも思うくらい熱を込め、率先して雑談の場で話をする気力が衰えると同時に、不思議なことだが自分の話のオチがなくなってしまった。

「今日の雑談はオチがなくてすみません」とヘラヘラ笑って誤魔化してしまう自分の姿を見たら、K君は昔と違う意図を込めて眉を顰(ひそ)めるかもしれない。

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