恥も外聞もない

他者のことを慮ることは人と人がが一緒に暮らしていくうえで大切だ。
ただ人のことを意識するという点では同じだが、その対象が自分に向きすぎていると苦しくなる。
ひとから自分はどう見られているか。
そんなわたしは自己意識がとても強いほうだと思う。
ネガティブな面でいうと、たとえば人前で飲食をするのが苦手だ。特に相手をよく知らない場面だと、自分の食べ方や咀嚼音が気になり、リラックスして食べられないこともある。
また街で一人で歩いてるときも、周りを変に意識して、歩き方がぎこちなくなるときがある。
信じられないと思う人もいるだろう。
でも事実そうなのである。
一方でポジティブな面でいうと、上記と矛盾するようだが前に出て目立ちたい、注目を浴びたいという欲もある。自ら手を挙げてそのような機会を手にすることもあるのだ。
いずれにせよ第三者からの評価を気にしているという点では表裏一体なのだろう。
振り返ってみると、自分に自信を失っていたり、ストレスがかかっていたりするとき、また中途半端に考える余白があるときだとネガティブな側面が多く現れていると思う。
かくいう、いまがそのピークかもしれない。
上記のこと以外にも日々社会生活を営むうえで自分の心を自分で苦しくさせている場面が非常に多い。
こういうとき、最終的に心に浮かぶこと。
もうどうでもいい。
額面だけ捉えるとこの言葉は投げやりでネガティブな響きをもつ。ただ最後は結局ここに行き着くのだ。
気にしすぎ、考えてもしょうがない、もし周りに話したらきっと言われるし、自分も何度も悩む過程で思っている。でも考えるし、考える性だから悩んでいる。考えなくて済むなら最初からそうしてる。そんな心の中の反論ももはや、しなくなるほど、考えて考え尽くして結局浮かぶのが、もうどうでもいい、なのである。
生きてること自体が恥晒しの連続で、気にしていたらきりがない。
あと3ヶ月しか生きられないとしたら、どのような言動になるか。
そんなことも頭にいれつつ、でもシンプルにもうどうでもいい、明日から再びそのマインドでいこう。


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