こだわりってありますか?

わたしコーヒーにはこだわってて結構うるさいんですよ。この産地のこの豆は程よい苦味でソフトな酸味で、一方こっちは重厚感のある苦味があって…

自分の好きなものはもっと知りたいって思って、詳しくなる。語れるほどになり、その中でもより自分が好きなものが見えてくる。

そう、こだわりは好きだからこそ生まれるのだ。
またそれを語る姿はとても輝いて見え、その人をより一層魅力的にさせるものだと思う。

ただそのこだわりに人からの見え方という視点が入ってしまうと、どうなるだろう。

最初は自然体にそのものにこだわっているだけだった。いずれその姿が人から評価され、嬉しさを感じ始める。それがいつしか、そのものではなく、それを評価されている自分にこだわりはじめ、自分はこうでなくてはならない、こうあるべきという見えない力に引っ張られる。
そうでなくてもいいのに、あるべき自分像が強くなり、自分で自分を檻に閉じ込め、苦しくなってしまう。
この状態の厄介なところは、そうなる過程で自覚することが難しく、また自分のこだわりを手放すという判断がすぐにはできなくなることだ。

いま一度胸に手を当てて考えたい。
いま苦しみの種になってることはなんなのか、それは本当に守るべきものなのか、自分が勝手に作り出したこだわりではないのか。
自戒を込めて。

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