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長男の起立性調節障害で一番大変だった時

起立性調節障害の症状は、人によってさまざまなので、あくまでも我が家の長男の話ですが、一番大変だったことは、その日、学校に行くのか行かないのか分からないことでした。

朝、起きてみないと体調が分からない状態が何か月も。ほとんど毎朝、長男を何回も何回も起こし、起きられて登校できるときもあれば、体調が悪くて欠席することもある。それがその日の朝、登校ぎりぎりの時間まで分からないのです。

そしてさらに欠席連絡をするのも、負担の1つでした。長男の中学は、生徒手帳に欠席理由を書いて近所の子に渡して届けてもらうか、FAXで欠席連絡をするか、どちらか。電話連絡は基本、禁止。

我が家にはたまたまFAXがあったので、欠席が決まると、びーっとFAXを流しました。最初は毎日日付を書きなおしていましたが、そのうち面倒になり、毎回同じFAXを流しました。

電話より精神的負担は軽いのですが、やはり欠席連絡というのは、親にとってとても負担です。今はメールやスマホを使った簡単で確実な連絡方法があるのですから、それをもっと活用してほしいなあ。

中学生だったので、私の仕事や予定が入っている日は、長男を一人で家において出かけることもできましたし、幸いにも私の実家が車で5分のところにあるので、母に買い物ついでに様子を見てもらったりもしました。

毎朝、何回も起こすこと、そしてたとえ起きても長男が頭痛でうずくまって学校に行けないこと、家に1人で置いておくこと、いつ起きるか分からないこと・・・

これは実際に体験してみないと本当に分からないと思います。欠席が増えてきて、学校に行くか行かないのか分からない時期が、一番辛かった。そのあと、完全に不登校になってからの方が、毎朝のバトルはなくなりました。

不登校でも大丈夫!と私が腹をくくってからは、毎朝声をかけることもなくなり、長男が起きたい時間に起きるようになったので、本当に楽になりました。

登校できている時も、毎朝、起きるまで声をかけずに、寝かしておいてあげれば、少しは体調もよくなったのかな??と思うこともありますが、それは結果論であって、当時は私も長男も、必死でした。長男もなんとか頑張って学校に行こうとしていたし、私も行かせようとしていました。

特に、私たちの住む地域の学校がそうなのかもしれませんが、中学校というのは、本当に融通が利きません。私の中学時代はもう30年以上前のことですが、そのころとあまり風潮は変わっていないように感じます。

先生がとにかく、固い。学校にために生徒がいるかのように思うこともあります。そうじゃなくて、生徒のために学校はあるのに、学校に生徒が合わせなくてはいけないことが多すぎる。

もちろん、先生は生徒のために一生懸命頑張ってくれていることも分かっています。でも、不登校がどんどん増えているという現実は、やっぱりもう今の子供たちには、学校という制度が合わなくなってきているのだと思います。

今の子供たちは、生まれた時からインターネットがあり、物心ついた時にはスマホがありました。自分でYouTubeやネットで、何でも知ることができる。そんな子供たちが、理不尽な環境に疑問を持つのは、当然のことだと、親として感じます。

なんだか、話が大きくなってしまいましたが・・・

不登校になり、半年ぐらいは、本人の好きにまかせていました。マイクラというゲームもやり放題、スマホもやり放題、塾も行けるときだけ行く、という生活。もちろん、本人の体調が悪い時もあり、昏々と寝続ける日もありましたが、だんだんストレスがなくなっていったのか、頭痛も減っていきました。

そして半年くらい経ったころ「暇だから勉強しようかな」と言い出しました。まぁ言ったからといって、すごく勉強するわけではないけれど、なんだかこっそり勉強している様子でした。

十分休めば、体も心も元気になって、暇と感じるようになるんだなーと実感しました。

中学生は反抗期もあるし、長男は体調も思うようにいかず、親子関係もなかなか大変なこともありますが、今は割といい関係を築けているのではないのかなー、なんて思っています。

だってね、15歳だけど、ママとハグしてくれるんですよ。かわいいでしょ。



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