第12回塔新人賞受賞作を読んでみて書いてみた 「俳句的タッチ・短歌的タッチ」

短歌をしようと思って塔に入ったのが2年前だけど続かなくってお金だけ払っていた。

今年はがんばって短歌をつくろうと思っていたけどやっぱり続かなくって締め切り間際に歌を作っている。

僕の短歌の興味の対象は松野町の歌人「政石蒙」さんなんだけど、こちらもちゃんと読めていない。

俳句と違って短歌は「降りてくる」ことが僕の場合いまのところないし、机に向かって「ヨシ!」とおもって書くのだけれど、俳句を嘱目で作っているものだから、同じ机に座って短歌を書こうと思ってもなかなかノルマの10首をかけない。

もともと大森静香さんの『手のひらを燃やす』を仲間の俳人から紹介してもらって読んだことがきっかけで短歌に興味を持ったのだけれども短歌っていまのところ難しい。


第12回塔新人賞(『塔4月号』2022.4)

塔4月号は塔短歌会賞と塔新人賞の発表がある。
俳句にも句群をたくさん並べて応募する賞があるが短歌の場合はどんな風に作品をつくり並べているのだろうか。


永山凌平「虫と炎」


永山凌平さんの「虫と炎」はバグ(虫)と炎(炎上)というキーワードで紡がれるシステムエンジニアの内面を描いている。連作を読んでいると機械よりも人間の方が相手にするのが大変そうだ。

終はつたら「良い経験」にさせられる炎上案件 今燃えてゐる

永山凌平「虫と炎」
『塔4月号』2022.4

手を休めることができない炎上案件の最中に、「終わったらどうせ良い経験になったな」と言われるんだろうなという冷めた感情。終わった後の乾いたチームの笑顔と目を真っ赤にして対処している目の前の現実が想像できる。

ずんずんと自動テストは走りゆきおんなじ場所で何度もこける

永山凌平「虫と炎」
『塔4月号』2022.4

同じ場所でこける。また戻って修正を加える。試行する。またおんなじところでこける。ちょっとずつの改善や前身よりも同じところで「こける」という現実が重くのしかかる。

フレデリックの「リリリピート」のMVを想像したが、こんなにテンポ良くは進まないのだろう。

人の血をたらふく吸へる蚊のごとく赤字ますます膨らんでゐる 

永山凌平「虫と炎」
『塔4月号』2022.4

無機質な仕事のなかに生物のイメージが入ってくるのが面白いと思った。
いきいきとして欲しくない「赤字」の部分がやたらと生命体感があって恐ろしい。いつか血管が弾けてしまいそうな怖い臨場感がある。

連作の印象として無機質になっていき意識が遠ざかっていく主体と対して、仕事の切迫感が高まり人間<仕事のほうが生命感を強くしている。

一貫してシステムエンジニアの現場と内面を描く作品だなぁと思った。
最近、渡辺白泉の戦争をテーマんした「突撃」の連作とか読んでいたのだけれども、キーワードでイメージさせる新興俳句の連作と雰囲気が違った。


朝野陽々「鯨を胸に」

朝野陽々さんの「鯨を胸に」は改名をした人が新たな日常に向かっていくことをテーマにした連作。

連作に一貫しているセクシャリティの意識はインタビューで作者の朝野陽々さんが語っている。「男らしさ」「女らしさ」という感覚に対して読者に疑問を投げかける。

その答えを僕はいまうまく書けないけど、作品のなかで描写されている世界はきらきらと輝いて見える。

まぶしさに袖を引かれて立ち止まる家裁の門に目立つ赤錆

朝野陽々「鯨を胸に」
『塔4月号』2022.4

晴れて眩しい日。家庭裁判所を目の前にすると明るさゆえに門の赤錆が目立つ。明暗の対比に加え、「赤錆」が示唆するものがこれまでの錆を落とすということなのか、それともそこに残り続ける「赤錆」なのか一首のなかだけでは判断がつかない面白さがあり、読みの多様性を生んでいるように感じる。

非常口のピクトグラムの性別をだれも気にしていない店内

朝野陽々「鯨を胸に」
『塔4月号』2022.4

むかし友達数人に君にとって「机」ってなに?と質問したことがあった。

1人は「自由の象徴。机の上ならなんでもできる」と言い、1人は「俺を縛り付ける鎖のようなもの。退屈な授業」と言った。

そんなことをこの歌を見ながら思い出した。

たしかにこの歌で読まれているピクトグラムの性別を僕は意識したことがない。この一首だけで人それぞれに多様な視点があることに気がつかされる。生まれた場所も、住んでいるところも、出会った人も、趣味も、嗜好も、仕事も違う人々の中で非常時の出口という「共通認識」として存在しているピクトグラムの見え方が違う。

この町の祭囃子が聞きたくて鯨を胸に奮い立たせた

朝野陽々「鯨を胸に」
『塔4月号』2022.4

表題にもなった歌だが、この歌がいちばんこの連作の中で抽象度が高く詩的だなと思った。そしてなにより難しい。

この町にはきっと伝統的な「まつり」があるんだろう。

聞きたいんだろうけど、「鯨」を「奮い立たせた」ってどういうことなんだろうか。

奮い立たせないといけないということは、今まで参加できなかったのだろうか、

だけど、聴きたいということはこの町にはきっと愛着があるんだろうな。

「鯨」ってどんな象徴なんだろう。巨大性?哺乳類としての共通点?

そんな風に楽しんだ。

俳句的タッチ・短歌的タッチ

読みながら書いたけど、2つの受賞作のベクトルが違いすぎてどっちがいいとは言えない。いや、どっちもいい!

両作品を通じて感じたことは、俳句にはなかなか表現できない「心」が大きな要素のような気がした。

俳句で「心」を作品のなかに入れてしまうとどうしても陳腐に見えてしまうので、「状況証拠から気持ちは感じ取ってくれ!」と思って書くけど、短歌はキャンバスが俳句よりも広いから書けるんだろうな。

5と7のリズムで描かれる作品だけれども海と川くらいの違いがあるようにこの文章を書いていて感じた。


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