no.29 ミッションインポッシブル〜義母の葬儀(その1)
義母が亡くなって、百日が過ぎた。
亡くなった日から火葬までの三日間は、あわただしく、目まぐるしく、そのあと四十九日頃まではゆっくりと、四十九日頃から先は、またバタバタと過ぎてゆき、気がつけば、はや師走である。疲れたw
義母が亡くなった日は、最高気温が38℃の猛暑日だった。
昼休みに夫から着信があり、何だろう?と出てみると、義母が息をしていないと言う。
「とうとう、この日が来てしまった」という思いと、「その日が今日とは思わなかった」との思いがめぐる。
取るものもとりあえず帰宅。
義母とは良い関係ではなかった。けれど、ここはけじめというもの。
手を合わせ、「おつかれさまでした」と声をかける。
ほどなく、医師の死亡診断書が届く。
今日から始まるはずの訪問看護サービスは、初日が最終日になった。
二人の看護師さんがエンゼルケア(逝去時ケア)を施してくださる。
よく頑張った方の体だったとのこと。
何から始めたら良いのか、頭が回らない。
夫は自分のほか誰もいない間に、義母が息を引き取ったことが堪らないようで、時折り、家のどこからか「ああ…」という嘆息が聞こえていた。
ここから先は、葬儀に関する打合せと準備を同時に進めていかねばならない。即断即決を求められることもあるはず。夫と私とで話を聞き、話し合って、決めていくよりほかない。
夫には「まずは、義母さんを無事に送ろう」と声をかけ励ます。
まずは、連絡である。
夫が外出先の義父、義父と一緒にいるはずの義兄、義姉に連絡。
次に葬儀社に連絡。
しばらくして義父が到着。
義父は義兄に車で送ってもらったというが、義母の顔だけ見てすぐに帰ったらしい。
続いて、義姉が到着。
義姉は義母の部屋の外の廊下に立ち、少し背伸びをして、義母の様子を伺っていた。
なんとも奇妙な光景。
「どうぞ」とすすめたが、ついぞ部屋には入らなかった。
葬式はどうするのかと聞かれ、何も決まっていないと答えると、
「あんたらの好きなようにしたらいいと思う」と言って帰って行く。
入れ替わるように、葬儀社から担当者が到着。若い女性のスタッフである。
ここからが、一大ミッション。
私たちのミッションはお金をかけずに葬式を出すこと。その上限は28万円。
夫がこの葬儀社の月掛をしていて、それが満額で約28万円なのだ。これを上回ってはならない。
義父は体裁を気にするだろうが致し方ない。(詳細は控えるけれど、義父は経済的に破綻している)
よって、人は家族以外、呼ばない。
お寺も呼ばない。それぞれの信じる宗教で見送る。
会場は自宅。様々な飾りなども不要、必需品だけ。
通夜は行わず、一日葬にすることを伝え、見積もりを出してもらう。
が、それでもまだ予算オーバー。
遺影もなしにして、ようやくクリアできたのであった。
主な費用は、棺、棺布団、仏衣、花、線香・ろうそく、白木の位牌、骨壷、ドライアイス、霊柩車、各種手続き代行など。斎場での食事もなし。
義父にも確認をし、喪主は夫がつとめることに。何せ、義父は要介護1のアルツハイマー型認知症なのだ。
明日以降のスケジュールが決まったので、義姉にショートメールで連絡。
義兄への連絡もお願いする。葬儀にかかる費用について(おそらく、二人とも、1円たりとも出さないだろうけど)相談したいと伝えておく。
しばらくして、義姉から連絡があり、
義兄と義兄家族は葬式には来ないとのこと。
「ふーん」
義姉は来るが、夫は出張のため来られないとのこと。(出張はたぶん嘘)
費用は義母の年金から支払えば良いだろう、だと!
義母の年金を義父が使い込んでいたことは知っているはず。まったく、想定内の回答であった。
葬儀が終わるまでの三日間、義(兄+姉+父)の振舞いは、私からすると、アンビリーバボーなことばかりだったが、
考えようによっては、義(兄+姉+父)ともに、実にその人らしく振舞ったと言える。
ここまで来ると、自分の気持ちをごまかせないのだろう。
この辺りから、雲行きがあやしかった。このときは、最後、私が怒りを爆発させることになろうとは、誰も、当の本人(私)さえも、知る由もなかったのである。
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