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毒舌かもしれないが、思ったことを素直に書いてみる

とある心理学系だけれど、かなりスピリチュアルよりのイベントに参加した時の話。

悟った人から話を聞いて、ワークをして、自分も悟りたいみたいな気持ち、いや、その時は私は悟っています、つまりその悟ったことが真実なのか確かめたいみたいな気持ちで参加していたのかもしれない。
悟った人ってどんな人なんだ、って見たい気持ちやその真実を感じてみたいという思いもあったと思う。

 自分の他にも数人参加していて、自己紹介から始まり、なんだか必死に自分の過去を語る人、満面の笑顔で伝わっているか確認しながらつらい過去を自己紹介をする人・・
無表情に興味があったので参加しますと答える人・・
まぁそれぞれなんだけれど、なんだか自然でない、というかこういう集まりって何なんだ?

あぁ、私も縋るような気持ちで来ちゃったよね・・ってちょっと冷めた気持ちになった、いや、だいぶ後悔していた。

それでも最後はみんな静かになっていたから、思考が休まったんだろうな。
静けさの中にいたから、それはすごいことなんだろうな・・


何かご利益があるかもとか、知ったら絶対楽になるはず、自分にもっとすごくいい生き方ができるヒントがあるみたいなことを期待して参加してみる、けれど、結局は日々の目まぐるしく動く思考を休める時間を作ったんだろうな。

自分は特別な経験をしてきたから、きっと自分には悟れるはず、そちらの世界に行けるはず・・特別な役割があるはず・・みたいな気持ちってあるし、みんな確かにそれぞれ特別な役割があってこの世に存在している。


自分て特別な人間なんではないだろうか、悟っちゃったりして、もっと楽に活き活きと毎日が送れるはず!って思った時代もあった。
自分なんてこんなものですから・・って諦めたり、諦めた時期が昔あって、今はそう思うこともしないってこともあるのかもしれない。

いろんなパターンがあるけれど。

脳が意識を作って、周囲の環境を作って、すべては自分が作っているって。
それもわかるよ。でも、結局は行動して、今自分にできる役割をしていくってこと。
思考でぐるぐるしているよりも、動いて目の前のやることをする、目の前にあるものに注目する、見つめる。

話は変わるけれど、イチローさんが自己肯定感っていう言葉を知らなかったって言っていた。そして、その言葉に違和感を持ったみたいだけれど、確かに自己肯定感を上げましょうって、言葉自体がちょっとふわふわと頼りない。
自信がありますって人だって、あることに関しての自信があるだけで、その他の事に関しては知らない、やらない、やれないことってあるよね。そういうことには自信がないってことがある。つまり、その分野においては自己肯定感が低くなるのではないかしら
自己肯定感と自信は違のうか・・

どんどん話がそれていくけれど、結局イチローさんも目の前の課題に懸命に取り組んできた人、そんな人は自己肯定感なんて言葉さえも知らず、目の前のこと、関心のあることに目を向けて夢中になっている人だ。

確かにそういう人の周りには人が集まり、話をしたい人もいるだろうな、そう考えると、私の行った集まりも、興味があって、その人の話を聞いて参考にって思う人が集まっていたのかって書きながら思った。

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