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ペルー・ワルツの名作者ルイス・アベラルド・ヌニェスのこと

明日11月22日はルイス・アベラルド・ヌニェス、ペルー音楽史上に残る名作をたくさん残した作曲・作詞家の94回目の誕生日である。
Embrujo, Con locura, Cuando habló el corazón, Ingrata, Mi despedida, Mal pasoなどのバルス・ペルアーノ(ペルー風ワルツ)、Sacachispas, Que viva Chiclayoなどのマリネラなどたくさんの歌手によって録音され、多くの人に親しまれた傑作を残した。
彼の本名はルイス・アベラルド・タカハシ・ヌニェス Luis Abelardo Takahashi Nuñez。そう、彼の父は日本人で、ペルーに移民としてきた人物だったのだ。今でこそペルーでもブラジルでもアルゼンチンでも日系人の音楽家は珍しくないが、ルイス・アベラルドのように1940年代から多数の曲を発表し評価されてきた日系2世ミュージシャンは稀である。
彼の最大のヒット曲の一つ、ワルツの「コン・ロクーラ」(くるおしい気持ちで)Con locuraは日本を代表するタンゴ歌手藤沢嵐子のレパートリーでもあった。1964年、藤沢嵐子は夫・早川真平率いるオルケスタ・ティピカ東京、歌手の阿保郁夫・柚木秀子と共にアルゼンチンを皮切りにウルグアイ、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラなど中南米諸国を巡演した。その際に各地のスタジオでレコーディングも行っているのだが、その中に藤沢の歌う「コン・ロクーラ」が含まれている。だから私は1964年のペルー公演の際にこの曲を知ったのではないかと思っていた。しかし最近入手した資料でそうではないことがわかった。その資料とは1957年6月21日東京・日比谷公会堂で行われた「早川真平・藤沢嵐子帰朝第一回特別演奏会」のプログラムで、この第2部の6曲目で「コン・ロクーラ」が歌われているのである。解説ではなぜか「ルイス・アベラルドとヌニェスの合作」となってしまっているが、「今回の旅の収穫の一つ」と述べられている。藤沢嵐子は早川真平と共に1957年に3度目のアルゼンチン訪問を果たしている(1回目は1953年、2回目は1954年)。

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しかし最初の2回の訪問ではアルゼンチンとウルグアイにしか行っていないがレコード録音も行っており、この3回目の訪問は1956年9月から1957年5月までの9か月にわたる長いものだが、録音も行われておらず、記録らしい記録も全然みかけない。藤沢嵐子の本でもこの旅のことはほとんど触れられていない。仕事はほどほどにゆっくり楽しんだ、とも書かれているが、ひょっとしてペルーまで行ったのではないだろうか? そして日系人の紹介でルイス・アベラルドと出会っていたのではないだろうか? プログラムの曲解説には日系人であることが触れられていないので単にヒット曲として持って帰っただけかもしれないが、それにしてはこの曲をあえて選んだところが不思議でもある。果たして真相は...
ルイス・アベラルド・タカハシ・ヌニェスは1996年に子供たちと共に愛知県小牧に移住、2005年12月19日に同地でがんのため79歳で世を去った。私は数年前に今も愛知県に在住するルイス・アベラルドの娘さんと知り合う機会を得た。あの「コン・ロクーラ」の作者のルイス・アベラルドが日系2世であることを知ったのは実はその時であった。
遺言によりルイス・アベラルド・タカハシ・ヌニェスは生誕の地ペルーのフェレニャフェに埋葬されている。
(今回の原稿はルイス・アベラルドの娘クリスティーナさんから父の誕生日に寄せて何か書いてほしいとのリクエストがあり、ちょうど面白い資料を見つけたところだったので書いてみました。)


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