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何を感じて、何を考えるかは自由

こんにちは、panです。

久々の長期の連休で、たっぷり充電できました。

そんな連休中に起きた出来事。
妻は布団に入るとき、とっても嬉しそうにします。
布団の中に入ることが大好きなんですね。
そんな妻が今日、布団に入るときに、
そのうれしさが今日はいつもの数倍だったのか、
布団をかぶって、枕に思いっきり寝っ転がったら、枕にスマホがあり、
ゴンッ
という鈍い音とともに悶絶してました。

その後、私は風呂に入り、
ちょっと案じて
「頭ダイジョウブ?」
と聞いた後、少し間があって
聞いた妻はもちろんのこと、言った私も
『今、おかしなこと言ったな~』
と思って、二人で笑いが止まりませんでした。

言葉が足らないと
受け取る側の解釈次第でまったく違う表現になってしまうんですね。
面白かった~。


本題
連休中に会った友人との会話にて

その友人は大学で知り合ったのですが、
大学院時代にこんなことがあったそうです。

研究室のメンバーでバーベキューをやったときに、
ついでに花火をするということになったそうです。
そのときに、研究室のメンバーの一人がお子さんを連れてきたそうです。
幼稚園か小学生かは忘れました。

で、花火をしたときに、
そのお子さんは不思議な反応をしたらしいです。
その子は、花火初体験だったそうです。

初めての花火に、どんな反応をするのか。
きっとテンションも上がって、はしゃいじゃったりするんだろうな~
という大人の期待をよそに、
その子は火のついた花火を手に持ちながら
その花火を見るわけでもなく、ぼーっとして、
目の前のきれいな花火にも特に興味がなかったそうです。

そんな光景を見た近くにいた大学院生が
「きれいだね~。」
と声をかけて、花火を楽しまそうとしたらしいのです。

ここでそのことに気づいたその子のお母さんは
その子のそばに行ってしゃがみ込み
こう話しかけたそうです。
「煙を見てるんだね~」
と。


このエピソードは本当にいろんなことを考えさせられました。
まず思ったことはお母さんの超超超超ファインプレーです。
きっと、普段からその子のことをよ~く見て、
その子のことを理解し、そして肯定する。
言葉にすると当たり前のようですし、
ありきたりのことですが、なかなかできないことだと思います。

一般的には花火というものは、
きれいに光る火花を見て楽しむもので、
私ももれなく、それでテンションが爆上がりで
はしゃいでいた記憶があります。
今日はみんなで花火をするよ~
というだけでワクワクしたものです。

でも、その子にとっての興味は花火そのものではなくて、
そこから上空にのぼる煙だったわけです。
何かを見て、体験して、何を感じて、何を考えるのか。
それはその人が決めることで、ルールなんてものはない。

ただ、ルールはないけれども、
大体こういうもんだろ。というのはあって、
それは多数派の意見や考え方であり、
多くの人がそれを【当たり前】と定義し、
それが普通と認識する。

だから、その普通から外れることは
おかしかったり、変だったり
という思考になるわけです。

その大学院生のことを否定するものではありません。
なんなら、親切でその子に接したわけですし、
とってもいい青年です。

ただ、そのようにして、
いわゆる【当たり前】を知らず知らずのうちに
そして悪意もなく、むしろ善意で
押し付けることになっていることもあるわけです。

きっと、私自身もそして多くの大人と呼ばれる人は
そういう【当たり前】を知らず知らずのうちに
押し付けられた場面は多々あったんだと思います。

繰り返しになりますが、
悪意がなく、善意であっても
結果、価値観を押し付けることは生じるわけです。

友人の研究室での花火では、
お母さんのフォローがとっても素敵で、
普段からのその子への心配りというか
その子への関心が素晴らしくて、
そして、その時に、その子が感じた
【煙への関心】
を全力で肯定する姿は感動ものだと私は思いました。


教育のこと云々はここではさておき、
花火を見て感動する子もいて
花火を見て、そこから出ている煙に感動する子もいて
だたそれだけのことで終わればいいのですが、
なんらかの形で煙に感動することを否定されたり
つぶされるような世の中は嫌だなと思いました。

今はもうその子は年齢的には大学生になっているとのこと。
その子のことは私の友人も知らないとのことでしたが、
その子がどんな大人になっていくのか楽しみだなと思いました。


とっても素敵なお話を聞いて、
ほっこりさせてもらいました。

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