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海球小説【読書report】

まずことわっておくけれども、
この小説の読書reportは、ネタバレなしに書くことはできそうにない。
けれども、書きたいのは小説の内容ではなく、そこから受けた
これまでにない読後感のことなので、ストーリーをたどることはしない。

「発達障害の当事者の人が、当事者目線で書いた小説」と、知人に紹介されて手に入れた。当事者の自伝ならば、ドナ・ウィリアムズやニキ・リンコなど、何冊か読んだことがある。ただ、この本は、「小説×解説」が交互に書かれているという、ちょっと変わった構造をしているのだ、と聞いて、興味を持った。当事者×専門家 がどうコラボしているのかと。

Ⅰ~Ⅴ章があり、
その間に解説が4回挟まっている。
Ⅰ章は、予想通り「小説とちょっと専門家的な解説」ということで、自分もその界隈の専門家なものだから、あっさり読み終わった。
しかし、Ⅱ章の終わりで、思ってもみなかった展開が起こり、軽い混乱を覚える。
ここには、解説がなければ頭が着いて行けなかっただろう。

終わり方もしかりだが、この著者は、どうも、非常に重要な展開を、非情にさらっと書いてしまうスタイルのようだ。

そう、これは「地球」のノンフィクションではなく、「海球」のフィクションだったのだ。
おそらく少し未来の時代の。

少数派と多数派が入れ替わって描かれる世界。
まさしく、「ニューロダイバーシティ」を具現したストーリーだ。
正常と異常という線引きではなく、多様性、スペクトラムの世界。
そのスペクトラムも白と黒とグレー、とかではなくきっと虹のように
様々な色合いのスペクトラム。
「地球」における多数派の読者たちは、自分自身が当事者とされる
世界に放り込まれてしまう。

とは言え「海球」の少数派である主人公ミノルは、あからさまに虐められたり傷つけられたりするような大きな体験をするわけではない。
むしろ周りの人たちは、みんな親切で優しい。
にもかかわらず、ミノルは大きな負荷を抱え、息苦しくて悲しい。

「傷」はわかりやすい形の武器でつけられるとは限らないのだ。
中立的に見える、発達障害の症状の専門的列記ですらも、「当事者」を傷つけるということがよくわかった。

自分が「異常」で「平均的ではない」と正面から突き付けられることの怖さ。自分の努力不足のせいではないのだと言われる安心感が得られたとしても、それで差し引きゼロにできるというものではないと感じさせられた。

読み終わって改めてわかったのは、
発達障害者に限らず、
心身知的障害者、難病患者、老人、子ども、性的マイノリティ、少数民族、女性、貧困など、ありとあらゆる「社会的弱者」が弱者たるゆえんは、その人たちが少数派であり、非権力者であるだけに過ぎず、多数派で権力がある人達が自分に都合よく作った世の中に適応できない人たちのことを障碍者、弱者、と呼んでいるに過ぎない、ということだった。

私自身の中にもある偏見。
自分と違う人たちを排除したくなる心性というものを再度見直さなければ、まともに援助などできるはずがないのではないか、と
痛感したのだった。なかなか読後感の苦しい小説だった。

読み終わって私が知りたいこと。
それは、この小説の舞台のような世の中…自閉症スペクトラムの人たちが多数派を占める世の中に存在する様々な常識や制度は、
今この地球上で生きる自閉症スペクトラムの人達にとってはひとつの理想郷なのだろうか―ということなのだが誰か教えてくれるだろうか。

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