最近の記事

子供の趣味を親がコントロールしてはいけない

「ゲームばっかりやってないで少しは体動かしなさい」という叱り方をする人がいる。 また、スポーツで結果を出した子供にご褒美を与える親がいる。 私はスポーツもゲームも特に好きではないのでフラットな目線で思うのだが、ゲームだろうがスポーツだろうが「睡眠」「食事」「道徳」など人間として身につけるべき事の外にある趣味の世界に過ぎない。 最低限の運動は学校の体育の授業でやっているのでそれ以上の運動は好きならやれば良いという程度の事だと思う。 (もちろんゲームをやり過ぎるのは良くないだ

    • 人を巻き込むストイックはただのワガママ

      例えば満点を10として合格ラインが6の物があるとして、8練習をして本番で8のパフォーマンスが出来れば万々歳だと私は思う。 2の余力を残す事でイレギュラーな事象への対応もしやすい。 対して、頑張る事こそが正義とばかりに、睡眠その他の行動を犠牲にして12の練習を繰り返す人がいる。 無理を繰り返したところで満点の評価を得るというのはなかなか難しく、結果9点だったとするとその差はたった1点しかない。 結果だけを見た人間からすれば2人はキチンと練習をした大差のない人間という事になる

      • 何故親を巻き込むのか?

        先日、子供の幼稚園にて運動会が開催された。 コロナによる制限が解除されてきて初めての運動会である。 さすがに以前の様に朝から場所取りのために並んで、お昼はお弁当を家族で食べ、1日がかりの誰も得しない運動会に逆戻りというわけではないが、それでも「何故そこのシステムを元に戻すのか?」と疑問に思う点がある。 まず、コロナ期間中の運動会は学年毎に競技がまとめられていた為、我が子の競技だけを見に行き、終わったら帰るということができた。 しかし、何故か今年度からは学年をバラけさせている

        • 人が辛そうにしているのは見たくない

          先日インスタで偶然流れてきたある動画を見た。 女子駅伝の選手が競技中に疲労骨折をしたにも関わらず、アスファルトに膝をついて四つん這いになりながら次の選手までタスキを繋ぐのである。 この選手に限らずスポーツ中継などを見ていると怪我を押して出場する選手などをよく見かける。 無理して出場しすることで選手生命を縮める可能性だってある。そして何より本人が痛そうな辛そうな顔をして出場しているのである。 実力の出せていない辛そうな場面は見るに堪えず、私はそこから中継を見るのをやめるこ

        子供の趣味を親がコントロールしてはいけない

          運動会は任意参加にしたらどうだろう。

          以前、ゆとり教育全盛の時代に徒競走のゴール時に手を繋いで一緒にゴールするという珍妙なスタイルの徒競走をする学校が出てきた事がある。 徒"競"走という競う事を目的とした事象において勝ち負けを付けずに同時にゴールするのは確かに違和感があるが、運動には優劣をつけて相手を見下す側面がある事も確かで、成長期の記憶は強烈なもので「劣」の側に立たされた子供には生涯に渡り運動に対するトラウメイティックな感覚が残ってしまうことを考えると、この「同時ゴール」という結論に辿り着いた大人達の感覚も

          運動会は任意参加にしたらどうだろう。

          スポーツ嫌いの存在を無視している

          皆さんは「スポーツ嫌い」をテーマにアメブロを更新されているken-pc-worksさんのブログをご存知でしょうか? あの為末選手ともX(旧Twitter)上でやりとりをされ、スポーツ嫌い側からの意見を発信されていてとても興味深いブログです。 詳細はご本人のブログにお任せするとして、内容としては "スポーツ側の人は「スポーツが嫌いな人がたくさんいる」こと自体を認識していない" ということをスポーツ嫌い側から理論立てて説明してくださっています。 問題なのは少年野球やミニバス

          スポーツ嫌いの存在を無視している

          スポーツ少年団の悪しき根性論は改善すべきだ。

          少年野球、少年サッカー、ミニバスにバレーボールなど地域に根付くスポーツ少年団には令和の今でもコンプライアンスを無視した旧態依然とした悪しき習慣が蔓延っている。 まず、入団勧誘時に平気で詐欺的な行為が行われている事を全体で許容してしまっている事があげられる。 勧誘チラシには週3日ほどの練習日が記載されており「週1日からでもOK!」などと記載されているが、いざ入団するとその他の曜日に自主練習日と称した半ば強制参加の練習が当てられている。自主練習日に行かない場合、指導者や保護者そ

          スポーツ少年団の悪しき根性論は改善すべきだ。