新興宗教二世。宗教のおかげで親とは疎遠。AC/双極性障害/希死念慮。ヒョウモントカゲモ…

新興宗教二世。宗教のおかげで親とは疎遠。AC/双極性障害/希死念慮。ヒョウモントカゲモドキ2匹と暮らす福祉職。特技は二度寝、趣味は惰眠を貪ること。

最近の記事

7歳。

7歳になります。 なんのことでしょうか。 第二の人生を始めて、7年目になります。 2017年4月20日。 生きていくことに絶望して、死のうとした日。 産まれた時から新興宗教を信じていました。 正確には、母の理想に沿いたくて必死で生きていました。 神に信仰…はあったのかなぁ。 今となっては神への信仰は最初からなかったかもしれません。 母に認められることが、母の理想に沿うことが生きている意味の全てでした。 幾度か少しだけ自我を出したことがありました。 その度に母は狂ったように

    • 何を信じ、何を頼り、どう生きるか。

      産まれた時から信じていた新興宗教を辞めた時、多くの宗教内の友人たちは凄まじい音を立てて遠ざかっていきました。 その中でほんの一握り、私と連絡をとり続けてくれていた、一緒に一時期暮らしたこともある友人と、この前飲みに行ってきました。 その友人は不思議な空気を纏っていて、会った瞬間久しぶりの邂逅は嘘のようにいつも通りの空気感に戻ったような。 不思議な人なんです。一緒に住んでいた頃、世界が狭くて完璧主義で頭の硬かった私は何度も理解できずに苦しんだことがあったけど、達観してみれば

      • ささやかな春の夢

        春が近づき桜の蕾が膨らみ始めてきた。 この時期になると、特に思うことがある。 私は二十代前半までとある新興宗教に熱心に励んでいた。 その時、その宗教内に同世代の友人がたくさんいた。 お金がなくてジリ貧の生活も、一緒なら耐えられた。 私はある日突然、その宗教を抜けた。 心が限界になった。 抜けた瞬間、その友達は全員いなくなった。 幸いにも私は1人じゃなかった。 学生時代の友人、幼馴染、辞めてからできたたくさんの友人。 宗教の友人たちとはそこまでの縁だったと言われればそれ

        • 人間はそう簡単に死ねないし止まれない

          ここ最近心身ともにぐったりで家は寝るだけの場所だったが、やっと文章が書けるくらいに気力を持ち直したけど多分乱文。ご容赦願いたい。 時を戻せば3〜4ヶ月前の夏頃、私は非常に病んでいた。 笑うこともできなくなり、仕事も集中できなくなり、朝目が覚めても体が動かず涙があふれてくる、そんな日々。 常にオーバーワークで帰ったらベットに直行の日々。 そんな日々を続けていくうちに、いったん社会から逃げたくなった。 もうこれ以上頑張るのがしんどくなった。 思考がほぼ停止していた私は思った

        7歳。

          6歳になりました。

          6歳になりました。 またこの記事を書く時期がやってきました。 2017年4月20日。 生きてることに疲れちゃって、生きるのをやめようと思って、思い立ったけど実行に移せなくて、今まで信念としてたもの全部無くして生きてる意味すらなくなって、でもしょうがないな、生きるかぁって計算見誤って長すぎた縊死用のロープにぶらさがりながら夜明けの白んできた空を見つつ、ぼんやり思った日から、6年経ちました。 まだ生きてます。なんとか。 あの日を境に私は“親の望む演じた私”ではなく“私”として産

          6歳になりました。

          私は呪われている。

          私が昔信仰していた宗教が、今世間に注目を浴びている。 それは、組織にとっては良くない意味で。 私たち被害者にとって、やっとここまで来たかと思う程望んでいた形で。 自浄作用の一つなのだと思っている。 箝口令を敷き続け、同調圧力を強いながら、いざ立場が悪くなると信者の考え違いということにして逃げ続けた組織の。 時代が変わっていることに気づけないのが弱みだった。 昔は全ての環境を断ち切り宗教内で生きさせておいて、悪しき種を見つけたら村八分にし、発言には一切耳を貸さない。発言しよう

          私は呪われている。

          2022年が今、終わる。

          2022年12月31日。 12時間勤務を終えて21時、仕事納めて電車の中。 11時間後には仕事初め。12時間勤務。 年越しとか年明けとかがどうでもよくなりつつあるこの頃。 電車の中でぼんやりと今年を振り返ってみる。 今年の年明け1月。 国家試験を初めて受けた。 生まれてこの方、真面目に勉強したことがなかった。 特殊な環境に生まれて、この世は全て滅びると思ってたから。 学生時代の勉強も無駄だなと思いながら受けていた。 そんなわけで、人生初めて真面目に勉強と向き合った。 知識を

          2022年が今、終わる。

          宝物は、時を経るにつれて。

          時を遡ること20年と少し前。 私は本を読むことが大好きな少女だった。 ゲームも禁止、友達と遊ぶのも禁止、テレビはもちろん禁止。 そんな環境で育ったからかなぁと思っていたが、同じ環境で育った妹はびっくりするくらい本が嫌いである。だから多分生まれつきの性格なのだ。 母はなぜか本にだけは寛容だった。母自身が読書が好きだったからだろう。土曜日の午後になるといつも市役所に併設されている図書館に連れて行ってくれた。上限ギリギリまで本を借りて、息をするのも忘れて読み漁った。 実家にも小さ

          宝物は、時を経るにつれて。

          5歳になる。

          5歳になります。 5歳になることができます。 知らぬ人からしたら何のことやらということだろう。 今日、4月20日は私に取って大切な日なのである。 私には、生まれた時から信仰していた宗教があった。 パパ、ママの次に覚えたのは神様の名前だったらしい。 幼少期から布教活動、宗教活動に専念してきた。 神様は、私の全てだった。 いや、正確にいうと、神に仕えている母の顔色が私の全てだった。 母に認められることが、私の存在価値の全てだった。 母の期待に沿うことが、私が生きている意味の全

          5歳になる。

          初めて振袖を着た日。

          遡る事何年前だろう、20歳の春。 「神様がどう思うか、よく考えてちょうだい。」 そんな母の一言で、私は成人式で振袖を着る機会を失った。 母が信仰している、そして私が信仰していた宗教では、独特な地域特有のマイナールールの適用により世の式典を避ける傾向にあった。 式典自体は中学時代いじめられていたこともあり、別に参加しなくてもいいかなぁと思っていたのだが、振袖だけは着たいなぁとぽろりと布教活動中にこぼしたら、同じ宗教内の仲間が、宗教内で年に一度ある特別な式典で、振袖を着せてあげよ

          初めて振袖を着た日。

          Switchを買ったというそれだけの話。

          任天堂Switchを購入しました。 今日、手元に届きました。 初期設定の途中で、ドキドキして胸が苦しくなりました。 実は私、生まれてこの方ゲームをしたことが数えるほどしかありません。 理由は少しだけ特殊な我が家の教育方針にありました。 我が家ではテレビやゲームなどの娯楽はほとんど禁止されていました。理由は“神様が嫌われているから”でした。 一度だけ友人の家でゲームを横で見ているのを親に見つかったことがあります。その時親は氷のような笑顔で私を引きずって帰宅し、そのまま全裸にし

          Switchを買ったというそれだけの話。

          あなたたちが、そこにいるということ。

          アイコンを見ていただければ一目瞭然かと思われるが、私はペットを飼っている。ヒョウモントカゲモドキというヤモリの一種だ。 この“飼っている”という言い方は、実は私はあまり好きではない。かといってなんと表現したらいいのかと言われると、うーん、難しいのだけど。あえていうなら“共存している”くらいの表現が正しいのかもしれない。 彼らとの出会い我が家には現在二匹のヒョウモントカゲモドキがいる。 一匹目、我が家に初めて来たヒョウモントカゲモドキは、年に二回ほど開催される大型の爬虫類

          あなたたちが、そこにいるということ。

          四年勤続したということ、これからのこと

          カレンダーを見ていて、ふと気がついた。 昨日、1月15日は私が今の会社に入った入社日じゃなかったかしら。 4年前、本来なら既に内定が出ていて、同期たちは12月から研修を始めていたのだけども、私は前の会社に恩がありすぎて、年末年始の繁忙期を前にして辞めますなんてとてもじゃないけど言えなくて、その繁忙期が全て収束した一月の半ばに、同期たちから二歩ほど遅れて、今の会社に飛び込んだ。 今の会社に正社員で入るまでの私は、フリーターとしてアルバイトをしながら生計を立てていた。 高卒で

          四年勤続したということ、これからのこと

          彼岸に焦がれながら此岸にしがみつき、そして彼岸を思う。

          年の瀬のことを師走というのは言い得て妙なのかもしれない。 諸説によればお坊さんだって東西に走り回るくらい忙しいし、仕事は年末にかけてアホみたいに忙しいし、街並みはなんだか浮き足立っているし、独り身の私なんかは賑わう街並みや幸せそうな人達を見て心が猛烈に寂しくなる。 そんな師走に、人の命の儚さを思わせる事件が立て続けに起きてしまった。 ひとつは、自分の活動圏内で起きた、故意の火災による多くの方が亡くなった事件。 そしてもうひとつは、国民的女優の転落による死亡事件。 前者に関

          彼岸に焦がれながら此岸にしがみつき、そして彼岸を思う。

          輝くシンデレラの君に。

          ※モーニング娘。21コンサートteenage solution〜佐藤優樹卒業スペシャル〜のネタバレを大幅に含むレポです※時を遡ること9月の話である。 私が箱で推しているモーニング娘。21のアカウントが新着通知を告げた。 “佐藤優樹からのお知らせ” 事務所がこういう公式発信をするときは嫌な予感しかしない。 そっと画面をスクロールすると、嫌な予感は的中していた。 “12月13日のモーニング娘。単独コンサートをもって卒業並びにハロープロジェクトを卒業する運びとなりました。” 理由は

          輝くシンデレラの君に。

          小学3年生の秋、私は万引きをした。

          この話は、自分への断罪として書き記す物であり、 既に店側とのやりとりは10余年以上前に解決しており、 また万引きというのが罪であると分かりきった上で 反省した過去であることを前提として記させていただきます。 毎年秋が来て、金木犀の香りが立ち込める時期になると ふと思い出すことがある。 ロッテふーせんの実のガムと、絶望した母の顔。 私の母は、私が産まれる前から新興宗教を信仰しており、 私はその新興宗教の掟に従ってかなり厳格に育てられた方だと思う。比較対象がないからわからない

          小学3年生の秋、私は万引きをした。