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7歳。

7歳になります。
なんのことでしょうか。
第二の人生を始めて、7年目になります。

2017年4月20日。
生きていくことに絶望して、死のうとした日。

産まれた時から新興宗教を信じていました。
正確には、母の理想に沿いたくて必死で生きていました。
神に信仰…はあったのかなぁ。
今となっては神への信仰は最初からなかったかもしれません。
母に認められることが、母の理想に沿うことが生きている意味の全てでした。
幾度か少しだけ自我を出したことがありました。
その度に母は狂ったように怒り、時に尻を叩き、時に泣き叫び、皿を投げて割り、産まなければよかったと絶叫しました。
その度に私の自尊心はボロボロになっていきました。
生きている意味なんてないんだと初めて思ったのはいつだろう。十代前半の頃にはすでに生きている意義を問い泣き明かしながら夜を迎えた朝がありました。

新興宗教の中には階級がありました。
神に生涯を捧げるという献身、それからその上の特権階級。
その目標を達成することは使命というより義務でした。
幼い頃の私、悪い意味で器用だったんです。
母の意図を汲んでその通りにすることができました。

宗教の教理の中に“永遠の命”というものがあります。
永遠の命を手に入れたらこんなことをしたい。
あんな生活をしたい。どんなに幸せなんだろう。
希死念慮に取り憑かれていて“早く死にたい明日が来るのが苦しい”と思っていた私は、だんだんそんな話題を一緒に話すのが、その教理を他人に伝えるのが苦しくなりました。

ある日思いました。
死のう。
もう生きているのがしんどい。

それからの日々は早かったです。
一つ一つ丁寧に特権を降りて、当時していた同居を解消して、死ぬために部屋を借りて、死亡保険を妹にかけて、LINEのアカウントも全て消して。
最後の宗教内での仕事を果たした日が4月20日。
あらかじめ用意していた縊死用のロープを首にかけて、飛んで。
ロープが少しだけ長くて苦しくてもがいただけで終わってしまって。泣きながら空が白んでいくのを見て、「ああ、生きてしまった」と思いました。

親が望む事が全てだった私から、何もない私へ。
終結を迎えたはずの人生、ボーナスステージ突入です。

いろいろなことがあった6年でした。
本当に、いろいろなことがありました。
新興宗教の中にいた私はある意味世間知らずで守られていたんだなと思うくらい。
いいことだけじゃなかったです、正直。
でも必死に生きてきました。
たくさん失敗しました。
でもギリギリのところで周りに本当に恵まれていました。
友人も増えて、取り巻く世界環境も少しずつ変わって。
生きづらいなりにそれなりに低空飛行で生きていこう、そう思っていました。

ここまで下書きしてたんです。ほんとに。1ヶ月半前くらいに。この記事投稿は毎年4月20日0時にしたいから。

ところがどっこい、そんなふうに必死に這いつくばりながら生きていたら、最近気軽に新興宗教側の大幅な教理の改定がありました。

概要を話すと“今まではダメだったけど軽めの挨拶とかならしてもいいよ!帰ってくる人はハードル低くなったよ!ボクたち人権擁護してますキリッ”みたいな。

別に普通に行かなくなっただけで禁止行為を犯したわけでもない、忌避対象にもならないはずなのに宗教をやめた途端に私のことを人以下のものを見る目で見てきた、無視して存在をなきものにしてきた人たちが手のひらを返したかのように“よっ!久しぶり!茜ちゃんのこと愛してるよ!”(意訳です)と手紙を通してすり寄ってきました。その手紙を経由して送ってきた親は“こんな手紙をいただきました♡皆さんからの愛です♡”と能天気に嬉しそうに笑うのです。

あの日、私を自分の子じゃない、戻ってこないと認めない、産まなければよかったと母が叫んだ記憶はもう私しか覚えていない。
宗教を本当に真面目にやっていたから周りの友人がほぼゼロになったときの絶望感は私の記憶の中にしかない。
教理の改定とともにアノ人達の中で全部無かったことになったんですよ、今までのこと。

そんなの、真面目に信じて病んで孤独になった私バカみたいじゃないですか。
今までのことは消えないんですよ。
絶望して、でも心が壊れてしまってどうしても戻れなかった葛藤は、なかったことにはならないんですよ。

そんなことを思いながら、この前新興宗教内で一緒にルームシェアをしていたことのある友人に、「あの日実は死のうとしてたんだよ」ってお酒の席で打ち明けました。
友人は少し考えて、「でも死ななかったんでしょ、終わった話だよ」と言いました。

終わった話。
そう言っていいのは、私だけなんだよ。

私も終わった話にしたいよ。
普通に生きていきたいよ。
でも、折に触れて膿んだ傷跡が顔を覗かせる。
縊死用のロープにぶらさがりながら、涙で滲んだ白んでいく空の景色を見た時の心の痛みを過去とできるほど、私は優しくなれないのです。

第二の人生、7年目。
そろそろ原点回帰の回顧録も終わりかなぁと思っていましたが、私にはまだ少し気持ちを整理する場が必要なようです。

世は徒然、様々なことがありますが。
とりあえず、生きててくれてありがとう、7歳の私。

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