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Y子のこと

Y子は寝たきりの子供だった。

母親は市場の瀬戸物屋で店員をしていた。

父親は見たことがない。

ぼく自身も子供だったから、他所の家の事情についてあれこれ穿鑿したこともなかった。

ぼくはY子を見たことがない。

Y子については、Y子のお母さんがうちの雑貨屋に来て、買い物ついでにあれこれ娘の話をするのをぼくは母から又聞きしただけである。

なんでも身体の筋肉が細っていって、だんだんと歩けなくなる病気なのだそうだ。いま考えると筋萎縮症だったのだろう。

Y子はあまり長く生きられない、とこれも又聞きで知った。50年もむかしの話だから、治療法も進んでいなかったろうし、当時は、障害のある人はあまり外に出さない風潮があったから、Y子は毎日寝床で過ごしていたんだと思う。

母づての情報では、Y子は学校に行けなくなってからは、少女まんがを読むのをこの上ない慰めとしてきたらしい。我が家では「りぼん」を毎月買っていたので、読み終えたらそれを提供したりした。

そしてついにその日が来た。

Y子はぼくより2、3歳上だったはずだから14、5歳くらいか。あまりに短い生だった。

当然母親は嘆き悲しんだ。その悲しみようは母から聞いた。話によれば、Y子は最後まで自分のことよりも、母親の身体のことを気遣っていたのだそうだ。「あんな優しい子がねえ」。母はY子を直接知っていた。

お葬式からしばらくして、Y子の母親はユタを買った。

ユタは一種の霊媒で、あの世とこの世の仲立ちをするのである。ユタに謝礼を払って拝みや口寄せをしてもらうことを「ユタを買う」という言い方をする。沖縄に今も存在する風習だが、当時はもっと日常的だった。

その顛末はすぐに伝わってきた。

母がY子の母親から聞いたところによると、ユタに降りたY子の霊は、開口一番に母親の身体を気遣い、また、これまで自分を育て、世話してくれたことに感謝していたという。そして、これまで自分のためにさんざん苦労をしたのだから、これからはお母さん自身のために生きてほしい。自分はあの世で幸せにしているから心配はいらない、と。ぼくの母はそのくだりまで話すと涙を拭った。

霊感のないぼくにはあの世のことはわからない。霊魂が存在するかどうかも確言はできない。

でも不思議なことは、Y子の優しさが、ユタの口を借りて、生前そのままに表現されたことである。

この世にわずか十数年、その魂は病魔によってねじ曲げられることなく、純粋な優しさを保って天に召されたのだ。

ぼくはそう信じている。


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