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日々よしなしごと~キャベツのスープ~

写真は、ガルピュールというキャベツと玉ねぎとベーコンなどのスープを仕込んでいるところ。友人がサボイキャベツ(ちりめんキャベツ)のことを投稿していて、そういえばこのキャベツは小さく切って煮込むとおいしかったんだと思い出し、家には普通のキャベツしかないけど作ることにした。

このスープはフランスの家庭料理で、大きな鍋にたくさん作り、ストーブの上でコトコト煮て、何日も同じものを食べると聞いたことがある。味付けは塩だけ。煮込めば煮込むほど食材の味が出ておいしい。急に寒くなったこの頃、鍋とは違うこんなスープも恋しい季節になった。

塩だけ…ということで、突如思い出した。「ニーチェの馬」という映画。 寡作の監督でハンガリーの巨匠タル・ベーラ監督のなんとも深淵にして哲学的で衝撃の映画だ。モノクロでほとんどセリフはなく、ひたすらある親子の貧しい暮らしを映し出していた。なんと言っても冒頭の、老いた馬がムチ打たれ粗末な馬車を引いてひた走る映像と音楽に、度肝を抜かれた。

娘は荒れ果てた土地にポツンと建つ家から、毎日少し離れた井戸に水を汲みに行くが、外は激しい風が砂を巻き上げて吹く中を進む。汲んできた水でじゃがいもを茹で、一日一食だけの茹でたじゃがいもを親子は黙々と食べる。その時、木の壺に入れた塩をかけながら・・・このシーンを思い出したのだ。

映画はその後、人々はこの土地から逃げるように馬車に乗ってどこかに行ってしまう。二人はぎりぎりまで残るが、いつか井戸の水も涸れ火もつかなくなり、とうとうここを出ていく決心をするが・・・

いったい何が起きているのか、人々はどこへ行くのか・・・不穏な空気と絶望感。そんな映画だった。


この映画は、私が以前あるミニシアターのチーフをしていた時に公開された。ある日、この映画が終わるとホールから母が出てきた(当時はまだ一人で出歩くこともできて、映画も時々見に来ていた)のを見て驚いた。思わず「観てたの?どうだった?」と聞くと「よう分からんけどすごかった」と。正直こんな重苦しい映画を観て大丈夫かなと心配だったが、一方でこの映画を観ようと思った母を見直した。

母は元々好映画好きで、私が幼い頃もよく映画に連れて行ってくれた。見るのはアメリカ映画で、フランス映画などは尻切れトンボみたいで好きじゃないと言っていた。何事も小難しいことは苦手で、難解で面白いとは言えないこの映画を観るとは想像もしていなかった。知的な話題よりはおしゃべりが好きで、映画もエンタメ系が好きだと勝手に思い込んでいた私は、母を少し見下していたのかもしれない・・・

そう言えば旅行も結構一人で出かけていた。雑誌やTVで気になるところがあると、自分で計画して予定を立てて行っていた・・・好奇心だけでこの映画を観たとしても、母の違う一面を見たような気がして、自分の思い込みが恥ずかしいと思った・・・・ことを思い出した。



キャベツのスープから、母の思い出にまで次々と思考が連鎖していく不思議。久しぶりに元気な頃の母を思い出した。自分の中にもいろんな引き出しがあったんだな。

気が付くと、あとひと月あまりで母の一周忌。



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