見出し画像

日々よしなしごと~運がいいとか悪いとか~

年末になると毎年どこかからくる年占いの小冊子。今年も来た。一応自分の生まれ年の来年の運勢を見ると「低迷運」だそうな。まあ、派手なことはせず(いつもしていないつもりだけど、さらに?)静かに穏やかに毎日を暮らせよ、ということなのだろう。

この占い、年が明けるころにはすっかり忘れているのが常で、今年の運勢がどうだったかなんて思い出せもしない。
今年もいいことも悪いこともあったような気がするが、どっちにしても忘れられないほどの悪いこともなかった気がするので、まあまあの年だったのだと思う。


先日母の一周忌をつつがなく済ませることができた。法要と言っても元々親類が少ないこともあり、家族といとこだけのささやかなものだ。それでもけじめとしてこの日のために、母が寝ていたベッドの跡のついた畳も張り替えて、染みのついたふすまも新しくした。きれいになった部屋を見て、ある方から譲っていただいた風炉に釜をかけて、お寺さんやお客様にお抹茶を飲んでいただこうと思いついた。母が持っていたお茶道具もあり、当日は朝から炭を熾して釜をかけ、お寺さんが来られた時にはちょうど湯気が上がるように準備した。

お経が終わり一服差し上げたいと思いますというと、とても喜んでいただいた。一服のあと、お寺さんから最近の法要など事情などもお聞きしながら、いつもにもまして和やかなひと時だった。お茶をたしなんでいた母の、生前は使うことのなかった茶道具も使うことができて、ひょっとしたら母も喜んでくれたかもしれない。

そんな母はいつも自分は運がいいから、と言っていた。でも、若いころ(つまり私が幼いころ)は、仕事や住むところをころころと変える父には、いろんなトラブルもあった。そんな父が若くしてガンを患って長く看病をしたあと亡くしたのも、運がいいとは言えないと思うのだけど・・・

父が亡くなった後、母はむしろ持ち前の明るさと姐御肌の性質で、新しい職場でも多くの人に慕われ長い間働いていた。その間職場の仲間たちと毎年よく旅行にも行っていたし、お茶の稽古も始めてた。70代になってやっと仕事を辞めてからは、水墨画を習って、そこでも教室のお仲間と食事会や旅行に行ったり老後の人生を楽しんでいたと思う。

残念ながら、最晩年の80代は認知症となって、私たち家族のことすらもわからなくなってしまったが、徘徊や暴言暴行などはなかった。そして昨年老衰で苦しむことなく亡くなった。
(母が亡くなった時のことはこのnoteでも書いた。穏やかな美しい死だった)

母が言っていた自分は運がいいというのは、こんな言い方をすると父に申し訳ないが、父が亡くなったあとの人生のことかもしれない。亡くなった後、働き始めた職場の人間関係にも恵まれ、習い事でもそれなりの楽しい交流もあり、好きな旅行も友人とも一人でも行っていた。むしろこんな風に自由に生きてこれたことを「運がいい」と思ったのだと気が付いた。

自分は「運がいい」と思うことで、乗り越えられることもあるような気がする。いいこともあれば悪いこともあるのが人生。よく調子のよい時ほど魔が差すという。時々テンションがやたらと高くなって、あれもしたいこれもやってみたいと強気な気分になって何でもできそうに思える時がある。低迷運というのは、ひょっとして今自分が気が付かないうちにそんな浮かれ気分の中にいるのを戒めるメッセージなのかもしれない。それだけは覚えておこう。

ということで今年も残すところあとわずか。気を緩めずに大事にしていくとしよう。そして来年も毎日を大事にしていかねば。

今年もありがとう。来年もよろしく。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?