信頼をすっ飛ばすさまざまな便利ツールの話


「違いを確認する」を始めて半年経つ。

違いを確認するときにみなさんに事前に共有するお願い/お約束はこちら。




・話してもいいし、沈黙していてもいい
・話している人の話は聞く
・否定をしない
・安易に肯定をしない

ここでは違う点を話すことが推奨されています
これはその訓練としての会です。



ということです。

つくづく感じるのは、わたしたちは「共感」は容易にできるということです。

それはほとんど反射のような形で「わかる」「そうそう」と言えてしまうもの。誰も必然のようにやってしまう。
しかしその話の中にあったはずの「自分と違う点」については自然に無視しているのか、言語化することを避けているのか、話題になかなかあがらないし、あげない。

たとえばこの会をしていて、自分と違う点について「わたしはこう思ったのですが、どうですか」と問うと、「たしかに。それは考えてなかった」と言われて説得になってしまうこともあり、たしかだと思う自分の意見を持つということが難しい人–それはやわらかな頭とも言える–も少なくない数いるんだなと感じる。

もちろん、約束を実行しようと違いを探して話してくれる人もいて、その上手さや勇気には見習いたいものだなと感じる。


先日プライベートではこんなことがあった。
写真に詳しい知人と、ある写真家の展示について話をした。その人はわたしとは違う(真逆の)立場でその展示の解釈を話してくれた。
その人とわたしの写真(・写真家)についての知識の差もあったし、もともとその人のものの見方を信頼できるなと思っていたこともあったとは思うが、こんなに「感じ方が違う」ことをきちんと話すことができるんだ、ということに嬉しくなった。

以前「違いを確認する」では、「普段の周りにいる人にこんな話したら茶化されるだけだから、話せてよかったです」と言った人がいた。
そうだね、と思った。

このことを考えると、いわゆる「信頼」というものが、対話には重要だということがわかる。
なければ「共感」トークばかりになるし、あれば「違い」を話すこともできる。




以前、ちょっとした技術作業をプロに頼んだ時に、「お値段は…?」と聞くと、「これくらいならタダでいいですよ。人をただ働きさせようとする人だと思えばこういう作業でもお金もらいますが、あなたはそういう人じゃないってわかるので」と言われた。
なんかわからないけど、信頼してもらっているんだなと思った。
わたしは人をただ働きさせる人じゃないとわかる、という形の「信頼」だ。

別の言い方をすれば、「値段」とか「価格」はそういう「信頼」や「関係性」をすっ飛ばすためのツールであると思う。だからとても便利だ。



「違いを確認する」では冒頭に書いたこの「約束」がその信頼をすっ飛ばすツールになっている。その約束を管理支配する人(わたしを筆頭に)もいる。

それでもなかなかに「違いを話す」ことは難しい。

でも、こういう「便利なツール」で関係性をすっ飛ばすことは、少しずつ減らしていきたいと思うんですね。

だからみんなで違いを確認し合う練習をしたいです。

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