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どうしたら大きな幸せがあった後に落ち込んでしまうのをやめられるのか

なんやかんやしていたら、前回更新からずいぶん間があいてしまいました。
どうも、情緒不安定がんばりすぎ女子向けマガジンのお時間です。

情緒不安定な人あるあるだと思うんですけど、大きな幸せがやってきた後に、めちゃくちゃ落ち込んだりしません?
落ち込む理由は色々ありますが、たとえば

・「こんなに良い事があったんだから、必ず悪い事が起きるに違いない」と思って、まだ何も起きていないのに猛烈に不安になってしまう

・誰かがその幸せを持ってきた場合、すぐに「何か裏があるのでは?」と疑ってしまう

・実際にいつも、大きな幸せがあった後にすごく嫌な目にあうので、毎回「やっぱり……」と思う

・幸せは長く続くものじゃないので、いつ終わるのかと不安になってしまい、今の良い状態を楽しめない

とかですかね。思い当たるものやご自分に近いものはありましたか?

何を隠そう私も、バリバリ精神疾患だった頃はこういう思考でした。
良い事があっても素直に喜べないし、大きな幸せがやってきても「どーせダメになる」と思ってしまうのです。

さてその精神疾患を治療・寛解かんかい(※症状が和らぐこと)してから早6年経ったのですが、「そういえば最近、大きな幸せがあった後にめちゃくちゃ落ち込む事がなくなったな」と気づきました。

一体なぜ、私は落ち込まなくなったのか?
そもそもなぜ、「幸せがあった後は必ず悪い事がやってくる」と思っていたのか?
今回はその辺を紐解いていきましょう。

◆「私はこの幸せにふさわしくない」と思っていた

以前こちらの記事にも書いていたのですが、かつては「私は幸せになってはいけない」と思っていました。
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こちらの記事では、幸せになってはいけないから、わざわざ自分が不幸になりそうな道を選ぶ過程を書いておりますが、もちろんそうしている間も「幸せだな〜、ありがたいな〜」と思うようなことは沢山あったのです。

たとえば記事内に「西に不倫の種あれば西の池に落ち、」と書いてありますが、この騒動の間、私をずっと支えて助けてくれた友人がいつもそばにいてくれました。

私が訴えられた時も彼女は裁判所までついてきてくれましたし、おそらく相手方の嫌がらせで車のタイヤに穴を開けられた時も、助手席に座っていて一緒にスリップしてくれました。危ない(笑)。

お相手には最終的に「会いたくない」と言われて避けられてしまったものの、一緒にいる時、私は確かに大きな幸せを感じていたはずだったんですよね。

ほかにも「大した収入もないのに無理やり遠方へ行って一人暮らし」した時もそうです。

これは青森に住んでいた時の話なんですけど、隣の部屋の室外機が故障して一晩中異音を発して2〜3日眠れなかったり、寒いしお金ないしで部屋でしくしく泣いていた時も、私を励ましてくれた友達とそのお母さんがいました。

友達とそのお母さんとやった家飲みは未だにすごく楽しい思い出で、それが忘れられなくて今年もその青森の友達の家に行きましたからね(笑)。

精神疾患であっても、私の人生にはそこかしこに素敵な出会いがあり、親切にしてくれた人たちや愛をくれた人たちが沢山いました。

にも関わらず、私はそちらをあまり見ようとせず、自分に起きた嫌な出来事・嫌なことをしてくる人たちばかりに注目していたのです。

なんでかっていうと、「私はこの幸せにふさわしくない」と思っていたからです。といっても意識していたわけじゃなくて、おそらく、無意識にそういうことにしていました。

上記に書いた人たち以外にも、私の人生は今も昔も優しい友人にあふれていました。なのに私は、そんなのは自分にふさわしくない、と思っていたのです。

私はあなた達に優しくされるような資格はない、親切にされる価値のあるような人間じゃない。

そうです、私は「自分は低い人間だ」と思っていたから、与えられる幸福も親切も受け取れず、「私は幸せじゃない」といつもイライラしていたのでした。自分が、与えられた幸せを振り払っていたくせにね。

心の世界では、表に見える意識と、奥深くに隠れた意識があると言われています。(専門用語で言うと顕在けんざい意識/または表面意識と潜在せんざい意識、というやつですね)

私は表向きの意識では「幸せになりたい、幸せになりたい」とずっと言っていたのに、心の奥深くでは「不幸にしてくれ、罰を与えてくれ、自分はそうあるべき人間なんだから」と思っていました。

だから私の望んだ通り、大きな幸せが起きた後、必ず悪い事が起きていたのです。

自分を落ち込ませていたのは、起きた不幸でも、運の悪さのせいでもない。
私自身の心持ちでした。

◆そもそも良いことばかりの人も悪いことばかりの人もいない

「私はこの幸せにふさわしくない・私にそんな価値はない」という思いが不幸を寄せ付けるのであれば、自分に価値があると認めることが“大きな幸せがやってきた後に必ず不幸になる”スパイラルを止める一番手っ取り早い方法です。

しかしそんなことが簡単にできるのなら、あなたはこんな記事を読む羽目になっていないはずです。私だって、「自分は価値のある人間だ」と思えるようになるまでにかなりの年数を要しました。
というか未だにその意識が足りていない部分もまだまだあります。

何年も何十年も「自分には価値がない」と思っている人間が、「自分には価値があるぞ」と認識し直すのはとても根気がいるし難しいことなのです。

というわけですぐに「私は価値のある人間だ」と思えなくて良いので、まずは考え方・意識を変えてみましょう。

そもそも「不幸だ」「幸せになりたい」と言っている人は、世の中にはたくさんの幸せに恵まれている人と、そこそこの幸せが起きている普通の人と、不幸ばかり起きている最悪な人がいると考えています。私もそうでした。

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