【バトンリレー企画】心に残る、私を変えた友人との思い出
noteで存在を知ったチェーンナーさんの【バトンリレー企画 2022】~心に残るあのエピソードをあなたへ~でバトンを回していただきました。
きっかけはチェーンナーさんの記事に「参加してみたい表明」をしたこと。
バトン企画は毎年されているようなので来年回ってきたらいいなと思っていたのですが、なんと今年回ってきました(笑)。
今までnoteの企画は公募系を除いてまったく参加したことがなかったので、「どんな感じだろう」と興味を持ったんですよね。
今までやったことのないことをすると、必ず何かしらの展開があるのが私の人生です。では早速いきます!
心に残る友人との思い出
私の「心に残るあのエピソード」は、21歳のとき、15歳年上の女性に温泉旅館へ拉致られたことです(笑)。
この女性とはのちに友人になったので、もちろん犯罪案件ではありません。
私は10歳から34歳まで、「境界性パーソナリティ障害」という精神障害に悩まされていました。21歳というと、まだまだその障害の全盛期です。
(障害について、詳しくは下記記事にて↓)
当時は母と叔母(と猫)と暮らしていたのですが、私は母に恨みを持ち続けてたびたびブチ切れ、叔母からの言葉にストレスを溜め、自分のやりたいこともうまくいかず、「早く死にたい」とばかり思っていました。
そのどうしようもない状態を同世代の友人にグチグチ言っていたら、先述の15歳年上の女性を紹介されたんですね。
「彼女なら何とかしてくれるんじゃないか」と。
初めて紹介されたのは19歳の時だったかと思いますが、その時は特に交友を深めませんでした。
2回目に会った時、なぜか「よし、今から温泉旅館へ行こう」と言われ、タクシーに詰め込まれ、玉造温泉内の某旅館に連れて行かれました(私は島根県松江市在住だったので)。
重ね重ね言いますが、彼女に出会ったのは「2回目」です。
今まで出会ったことのないタイプの年上
私は昔から年上との交友が多かったのですが、それにしても彼女は私が出会ってきた年上女性の中で最も異質でした。
39歳になった今も、彼女のような女性には出会ったことがありません。
仮に「Bちゃん」という名前とします。というか、彼女のほうから「私のことはBちゃんと呼びなさい」と言ってきました。
それからしばらく(もしかしたら年単位で?)、私は彼女の本名を知ることがありませんでした。
あわせて「敬語を使わないで」とも言われました。私は同年代や年下ですらも、よほど仲良くならないと敬語が外せない人間です。
「いや無理ですよ」と言ったら「敬語使ったら罰金」と返されました。
それ以来、無理やりタメ口(ぐち)になりました。
家族と話すきっかけを作ってくれた友人
本名も知らない、出会って2度目の年上女性と、いきなり裸になって温泉に入るのはかなりの抵抗があったとうっすら覚えています。
けど彼女は、私の心の内をていねいに色々聞いてくれました。
誰も聞いてくれなかった、というか、訴えても聞いてもらえなかった、私が抱えている色々のものを。
詳細はもうおぼろげなのですが、「お母さんと話をしよう」と言われました。まず最初に私が自分で電話をかけたけど、何か気に入らないことがあり、絶叫して電話を切ってしまったことを覚えています。
その相手が叔母だったか母だったか思い出せません。
「やっぱりこの家族はダメだ、全然自分のことをわかってくれない」と号泣したことは覚えています。
見かねたBちゃんが、「私が話す」と改めて電話をかけてくれました。
突然誰だかわからない30代の女性が、娘を温泉旅館へ連れて行き、しかもいきなり電話をかけてきて、母はかなりびっくりしただろうなあと思います(ていうか、後で聞いたら、びっくりしていました)。
Bちゃんは叔母にも何か言っていた記憶があります。
お母さんと巴ちゃんの問題に入らないであげてください、みたいな、そういうことを。あとで聞きましたが、叔母もかなりびっくりしたそうです(そりゃそうだ)。
その後、私は泣きながらも、自分の本音を怒りとか「死にたい」とかでごまかすのをやめ、自分の気持ちを必死で話しました。
とはいえ、そのあと精神疾患が寛解するまで13年かかっているので、このときすべてが解決したわけではありません。
けれど、この「2回目に会った年上女性に突然温泉旅館へ拉致され、友人になる」という出来事は、私のその後の人生に大きな影響を与えたのは間違いないのです。
その後の友人と私
彼女とはその後、2人で色々な場所へ行き、色々な話をしました。
一緒に美味しいものを食べたり、私が死にかけたのを助けてもらったり、叱られたり、私も彼女を注意したり、とにかくたくさん笑いました。
そして2012年3月、彼女は亡くなりました。原因不明の突然死です。
考えてみればそれからもう10年も経つんですね。
彼女は私の作品を誰よりも愛し、私の成功を誰よりも望んでいました。
2011年、私が初めてイラストレーターとして商業の仕事をやったとき、淡路島の居酒屋のカウンターで飛び上がるほど喜んだ姿を今でも覚えています。
「ここまで来たんだねえ、やったねえ、すごいね」と。
そしてわずかその約1年後に、彼女は逝ってしまいました。
私はまだまだ、彼女に活躍を見せなければならなかったのに、少しも見せられないまま亡くなってしまいました。
というよりも、それから10年も経った今も、私は彼女に胸を張れる活躍ができていると思えていません。
個展をしたり、島根県子ども・子育て支援課の事業専属イラストレーターになったり、学研さんから書籍を出したりしているのに。そのどれも、彼女が飛び上がらんばかりに喜ぶことでしょう。
けれど私はそのどれも、彼女にしてもらった恩に報いるレベルだと思えないのです。だからもっと活躍したい、もっとすごい人になりたい、その心が消えません。
それは他人から見れば、苦しい人生に見えるかもしれません。
けれど私はそのお陰で、前に進めます。
私の「心の残るあのエピソード」は、彼女に温泉旅館へ拉致られたこと。
彼女と出会ったこと、彼女と過ごしたこと、そして、彼女が突然亡くなったこと、彼女に関するすべてのエピソードです。
重い話を読んでくださってありがとうございました。
バトンを回してみます
こんな話で次の人にバトンを渡すのもどうかと思うのですが、折角の試みなので渡してみようと思います。
私がチンタラ書いていたせいで、〆切の9月30日まであと1週間もないのですが、よろしければ……。
◎星見さん
いつも私と一緒に同人イベントに出てくれている友人です。
自分の漫画で忙しいかもしれないけど、もし書けそうだったらぜひ!
◎成瀬あゆみさん
よく私の記事を引用してくださるので、という理由で。
残り日数が少ないので難しいかもですが、よろしければぜひ!
バトンリレー企画のルールは下記記事でご確認ください!
どうしても書けない、という場合はお断りいただいて大丈夫です。
また、次に回す人がいない場合は「アンカー」としてもよいそうです。
チェーンナーさんご本人に回すことも可能らしいですが、もう〆切まで日数がないので……(^^;
初めての企画参加、いろいろと興味深かったです。
改めまして、ありがとうございました!
ごきげんよう、さようなら。
◎わたくしのウェブサイト
漫画家(イラストレーター)と心理カウンセラーを兼業しております。
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