【短編小説】Er war verdorben.

 私は墓守の家に生まれ、死んだ。そして、若いうちに死んだ私には子がいなかった。
 墓守の役目は皆が嫌がる。だから、私は死んだ後も墓守を続けることにした。

「こら、墓場で遊ぶのはやめなさい」

 今日も遊び回る子供を諭しに行く。
 子供は好奇心旺盛で、すぐに墓場で追いかけっこだのかくれんぼだのを始める。怖くはないのだろうか……と思ったが、怖いからこそ面白いのかもしれない。

「あっ、ちょっ、頭はやめ、事故で打って死んだから取れやす……だからダメだって!」

 1人の子供が木の上から私の肩に飛びつき、ばしばしと頭を叩く。
 ぐらぐらと折れかけの首が揺れ、気が付けば、視界に地面が……しかもぐんぐんと近づいて……

「ほら……だから言ったのに……」

 ゴロゴロと地面に転がる私に、子供たちは口々に金切り声を上げ、蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。
 私はやるせない思いで地面を転がっていたが、やがて、子供たちは恐る恐る私の元に帰ってきてくれた。

「ごめんね」
「ひどいことした」
「またあそぼ」

 私は生きていた頃も、彼らとよく遊んでいた。だから、彼らにとって私は「墓守」でも、「屍」でもなく……「よく遊んでくれるトーマスという青年」なのだろう。

「トーマス、ごめんね」
「いいんだよ。今度はもっと優しくしてくれ」

 既に町の方では「墓に亡霊が出る」と噂になっているだろうし、新たな墓守が来ないのも、私の存在が気味悪がられているからだと察してはいる。
 子供たちの人数も以前に遊んでいたのは5人くらいで、今は3人。残念なことだが、私が死んでから近寄らなくなった者もいるのだ。それでも、まだ慕ってくれている子がいるというのはありがたい。

「私にもそうだが、墓にもいたずらをするんじゃないぞ」
「はーい」
「どっちかだったら?」
「どっちもダメ」
「はーい」
「お母さんに言う?」
「う……っ、い、言うぞ。きっと真っ青になって怒る」

 その場合は私への恐怖で……ということに、なるのかもしれないが、まあ、いいだろう。
 墓は死者が眠る大切な場所だ。そして、私の頭も大切な肉体の一部だ。どちらもいたずらをしていいものではない。

「わかったぁ」
「わかったから、また遊んで!」
「肩車乗りたい!」

 私が慕われていたのは幸運だった。こうして、まだこの世に残ることを歓迎してもらえるのだから。



 ***



 日が経つにつれ、私の身体は徐々に傷み出した。幸い季節は冬で、この土地は寒い。墓守の仕事ができなくなるほどの腐敗までには、まだ時間があるだろう。

「どうした、ブルーノ。家に帰らないのか」
「お母さんと喧嘩しちゃった」

 ブルーノは凍えた手を擦り合わせ、白い息を吐きながら、必死に涙をこらえていた。ぼろ小屋の隅で膝を抱える姿は寒々しく、痛ましい。私がいなければ、この子は独りで震えることになっていただろう。

「日が沈む前に帰りなさい。凍え死んでしまうぞ」
「トーマス。死ぬって、どんな感じ?」

 死ぬことは怖くない。ブルーノがそう考えてしまうのは、喜ばしくなかった。
 死を恐怖しない人間も世の中には少なくないが、ブルーノがそうなるのは早い。彼は、まだ未来ある少年なのだから。

「痛いぞ。転んで怪我をする……なんてのとは比べ物にならない」
「……そ、そんなに、痛かった?」
「ああ、それに怖いぞ。たぶん普通の人は、耐えきれずに魂まであの世に飛んでいくんだ」

 後半の話はでっち上げだが、実際、死の瞬間は未だに忘れられない。
 痛みと恐怖に苛まれながら、全てを失う絶望の淵で、私はただ一心に願った。

 まだ死にたくない。

 暗闇に呑み込まれそうな意識の中、ただ、それだけを願った。……そして、目が覚めた時、私は「死者」としてまだ「生きていた」。

「……帰るんだ、ブルーノ。痛いのも、怖いのも嫌だろう?」

 緩んで取れかけた瞳で、彼の方を見る。
 ブルーノは涙をいっぱい溜めたまま、こくりと頷いた。

「わかった」

 そのまま立ち上がり、ブルーノは小屋の扉に手をかける。
 真っ赤に燃える夕焼けは、腐りかけた私の目には少々刺激が強い。

「……トーマスは、もう、痛くない?」
「ああ、痛くないよ。……ありがとう」

 死体の私には、既に痛みなどない。強いて言うなれば、気にかけてくれる少年の思いが胸に痛むくらいだ。
 町に帰っていくブルーノの背を見送り、墓の番へと戻った。無事に家に帰りついていればいいのだが。



 ***



 春が近づき、私の元に来る子供たちの数が二人になった。一人は先日、ブルーノに「ちょっと……気持ち悪い……」と話しかけていたから、原因はある程度理解している。
 けれど、他の二人は変わらず私を慕ってくれているし、私のやるべきことは何も変わらない。

「トーマス」

 ブルーノに呼ばれ、振り返る。

「こ、これ……」

 彼の声は、どこか震えていた。
 手のひらに乗せられていたのは、どろりと腐って崩れた眼球だった。

「……? 誰か、墓を荒らしたのか」
「ち、違うよ。トーマス……この目玉……トーマスから落ちたんだよ!」

 言われてみて初めて、自分の目に手を持っていく。ぽっかりと空いた眼窩が、骨の見えかけた指先に触れた。

「……そうか。ついに……」

 呆然と呟く。

「……わたし、帰る! ごめんね!」
「あっ、アメリア……!」

 ブルーノは手を伸ばし呼び止めたが、私は彼の肩に手を置き、首を横に振った。

「止めなくていい。……仕方ないことだ」

 ブルーノは目に涙をいっぱい溜めて、「でも……」と呟く。腐り落ちた私の目を見、今度は、落ちていない方の目を見る。

「トーマスは、トーマスなのに」

 彼は、ブルーノは、本当に純粋で優しい子だった。
 異臭を放ち、眼球すら腐り落ちた私を恐れないばかりか、かつてと何も変わらず接してくれる。

「……ありがとう、ブルーノ」

 私の肉体が生きていたのなら、その時、涙のひとつでも零しただろうか。



 ***



 町の空気があまり良くないことには気が付いていた。ブルーノに聞いたところ、不況だとか、戦争だとか、物騒な話題で持ち切りらしい。

「トーマスの隣は落ち着くよ」
「おいおい、腐った死体に何言ってるんだ」
「……家の方が、帰りたくない」
「ブルーノ……」

 ブルーノの父親は失業し、人が変わってしまったのだと噂で聞いたことがある。あの寒い冬の日、母親と喧嘩して家に帰りたくないと言ったのも、それが原因だったのだろう。
 ブルーノは膝を抱え、呟いた。

「もっと大きな街に行って、勉強しようと思うんだ」
「……え」

 ブルーノは心優しく、それでいて気の弱い少年だ。それは私もよく知っている。
 彼が家族を捨て街に行きたいとまで言うほど、両親との関係が悪くなってしまったのか。……そんな不安が頭によぎる。

「この町を……みんなを守るために、ちゃんと学びたい」

 けれど、その選択は、心優しいからこそだった。

「そうか。……それなら、私に止める理由はないな」
「また会いに来るよ。だから、それまでちゃんとここにいてね?」
「……この腐った体で?」
「絶対立派になって会いに来るから……お願い!」

 空色の、澄んだ瞳が私を見つめる。崩れていく肉体に眉をひそめることもなく、ブルーノは私と握手を交わした。

 しかし……今、私の脳髄はどうなっているのだろうか。もし脳や神経の類が腐り落ちても、思考は働くのか?
 ……私は、いつまで「トーマス」として存在できるだろうか……。



 ***



 ブルーノが都市部に向かってからしばらくが経った。もう、誰一人として私はおろか、墓地にすら寄り付かない。

 それでも墓の手入れをしていると、時折人と出くわすことはある。
 今日は見知った顔を見かけたので、手を振っておいた。……悲鳴をあげて逃げられてしまったが。

 ブルーノとの約束を守るため、私は片時も墓地から離れなかった。彼は必ず帰ってくると言ったのだ。……それならば、再会の日を私も待つとしよう。
 彼のことだ。きっと、約束を忘れたりはしない。

 ……そうだよな? ブルーノ……。



 ***



 ブルーノはまだ会いに来ない。

 もう、なぜ動けているのかも分からないが、ブルーノは約束を破る子ではない。私がまだこの世にいるのは、意地や、執着のようなものだ。約束という言葉が、この世の常ならぬ力を強めているようにも思う。

 ああ、ブルーノは、いつ会いに来るだろう。



 ***



 幾年ほど待ったか、もう忘れてしまった。町の人間の顔も、もうほとんど覚えていない。
 ブルーノの顔もぼんやり覚えているだけになってしまったが……彼は、約束を覚えているのだろうか。覚えているなら、彼から名前を呼んでくれるだろう。……彼は、心優しい少年だ。

「トーマス!!」

 聞き覚えのない、けれど、懐かしい響きの声に振り返る。軍服を着た青年がそこにいた。

「本当に待っててくれたんだ……!」

 まだあどけなさを残した笑顔で、彼は走りよってきた。

「……ぅ、うぅ、お……」

 私の喉は、既に言葉を操れる状態にない。
 それでも、ブルーノは涙ながらに帽子を取り、礼をしてくれた。

「待たせてごめんね、トーマス」

 そうやって笑いかけてもらえるのは、いつぶりだっただろう。こんなにみっともない肉体でなければ、ハグして再会を喜ぶところだ。

「いっぱい話したいことがあるんだ!」

 晴れやかな笑顔で、青年は語る。

「今、僕はこの国のために、邪悪なる血の根絶を目指してる」

 あくまでにこやかに、青年は語り続ける。襟元の紋章が、陽の光に照らされる。

「劣った血統を滅ぼし、気高きわが祖国を魔の手から守り抜くんだ!」

 その様子は誇らしげで、澄んだ瞳はあの頃と変わらない。晴れ渡るような空色は、少しも曇っていない。

「……ぉ、あぁ、あぁあ……」

 私の喉からは、呻き声しか漏れ出さない。私には、もう、何かを伝えることは不可能だ。

「あ、暗くなる前に父さんと母さんに会いに行かなきゃ……。じゃあね、トーマス、また来るよ!」

 以前よりもきびきびとした、洗練された動きで青年は走っていく。手を伸ばそうとして、ギラつく太陽の眩しさに目が眩んだ。ふらふらと足元が揺れる。……ブルーノに、私の声は届かない。

 なぁ、ブルーノ。
 墓守の役目は、みんなが嫌がる。墓守は、みんなが蔑む仕事だ。
 ブルーノ、お前だけだったんだ。最後まで、死体となった後ですら、私をトーマスとして慕ってくれたのは。頼む。お前だけは……お前だけは、「そっち」に行かないでくれ……

 ああ、ああ、どうしてこんなにも淋しいんだ。どうしてこんなに、飢えて、飢えて仕方がないんだ。何もわからない。何も考えられない。目の前が暗くなっていく。
 私は、こんなになってまで、何に期待していたのだろう。



 ***



 月明かりの下、崩れかけた手足で穴を掘る。自分を埋める穴を、独り、掘り続ける。本当に恐怖の対象になってしまう前に、大人しく土に還らなければ。私は墓守の家に生まれ、生きた。守る側でなければ意味が無い。

 ぼろりと指先が落ちる。首がぐらぐらと揺れる。足を踏ん張ることができず、まだまだ浅い穴に倒れ伏した。

 足りない、足りない、時間も、力も、もう私には全て失われている。けれど、待たなければ。誰を? 何を? どうして?
 思考は形にならず、ばらばらに解けていく。早く、早く、葬らなくてはならない。過ぎ去った時間に呪われる前に、嘆きごと、この穴に……

「トーマス!」

 ああ

「ごめんね、遅くなって。でも今は夏だし、僕も大人になったから、夜だってへっちゃらさ」

 えへん、と誇らしげに胸を張って、ああ、ダメだ、帰るんだ、ブルーノ。痛いのも、怖いのも嫌だろう?
 帰ってくれ、頼む。その軍服を、その紋章を一秒たりとも見ていたくないんだ。

「どうしたんだよ、トーマス。……それに、何を掘っているの?」

 ……はて、この青年は誰だったか。
 さっきまで私は、何をしていたんだったか。
 もやがかかったように、あらゆる思考がひとつの欲求に塗りつぶされて行く。
 すっかり肉のこそげ落ちた胸の奥から、衝動がほとばしる。

「トーマス?」

 ああ、そうだ。私は……
 お前を埋めようとしていたんだったな。

「え、なに、……なんで、シャベルをこっちに……えっ、待っ──」

 ……そういえば、私の名前はなんだったか。
 まあいいか。いっそのこと、何もかも消してしまえばいい。

 ああ、まったく。誰だ? こんなところに死体を放っておいたのは。

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