「こ、これがマイクロアグレッションか……」市川沙央さんの語りで私が好きなところ
「読書文化のマチズモを憎んでいた」のインパクトで読書バリアフリーという一石を投じ、昨年の文壇に新星として輝いた作家の市川沙央さん。実は東京パラリンピックの開・閉会式をきっかけにして、当事者をどう描くかという「障害者表象」を大学の卒業論文のテーマとされたようで、パリパラリンピックの開会を前にしたインタビューに応じている。人工呼吸器を常用している市川さんへのインタビューは、書面インタビューのかたちがとられることが多い。
「こ、これがマイクロアグレッションか……」
記事自体の内容も読み応え十分だけれど、ここではレトリックというかその語り口の市川さんらしさに感心した箇所を紹介する。(太字部引用者)
社会批評にしては、スノッブでもシニカルでもない。主張がありながら、攻撃的ではない。市川さんが人工呼吸器を外してしゃべる姿を目にしたことがある人ならば脳内再生余裕な、作家一流の口調が書面インタビューにも現れ出ている。
ありふれた言い回し、優れた修辞
太字部で取り上げた、「〜。が、」と助詞を文頭や文末に持ってきたり、「こ、これ」と語頭を重ねたり、といった言い回しは、とりたてて珍しいものでない。むしろ、いささか古めかしいと感じる向きもあるかもしれない。
比較対象として、例えば伊藤理佐さんの用例。
これとどこが違うかというと、コンテキストや視線が異なる。
伊藤さんのエッセイは終始この語調、読者と同じ立ち位置で日常を描く。
市川さんは、難解な言葉を操る論客である。とはいえハイブロウなフューチャリストのように「俺が一番ピンとくるから」「わかる奴に伝わればいい」と言葉を選ぶのでなく、「自分が伝えたい概念事象を最も正確に表すのがこの言葉だから」あえて膾炙していない言葉でも使っているように感じられる。その冷静な分析のなかに、時折この手の言い回しを織り交ぜ、刹那的に読者のすぐ傍らにやってくる。そして明快な持論を重ねて、こちらを振り返り社会に呆れてみせる。自虐であり、切れ味鋭い批判であるが、悲しみや怒りをウイットで包んでいる。私の好きな市川節である。
芥川賞受賞者時の寄稿では、高揚感がウイットで包まれていた。個人的なエピソードの並ぶ自身へのことほぎは、筆致で作家の実力を発揮しつつ、自分のことでなく賞のことを語っているところが面白い。
市川沙央さんの2023年
市川さんが早大人間科学部通信教育課程を卒業したのが2023年3月。その卒業論文「障害者表象と現実社会の相互影響について」は早大の学生表彰(小野梓記念学術賞)を受けている。
デビュー作の小説「ハンチバック」の初出は文學界2023年5月号。同年7月に第169回芥川賞に選ばれた。
同じ年に二つの栄誉。四十を過ぎて奇跡の年を迎えていたのか。それとも当事者文学という探求がもたらした当然の帰結なのか。
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