痕を残す、存在を焼き付ける。


こんばんは。


出会いがあれば別れがある
始まりがあれば終わりがある

何かの歌詞やら小説やらで使い古されていそうな文字列ですが、使い古される程度には真理なのだと思います。

たかだか20数年しか生きていませんが、それなりの別れは経験してきたように思います。
疎遠になったり、縁が切れたり、もう死んでいった人もいます。

まだ生きている者の中で、私と関わったことある人間にはどうにか「私」という存在を焼き付けられないかと足掻いたことがあります。
と言うか、今も普通に試行錯誤しています。

短期的な目で見れば、キスマーク、噛み跡。
わかりやすいです。
残っているうちは見れば嫌でも思い出す最強タッグです。
時間が経てば消えてしまうのと、それを付けても許される相手でなければいけないのが難点ですが。

ところで、わたし先日「普段は何考えてるのか掴みどころがないのに、キスマとか噛み跡とか、そう言うところは妙に自己顕示欲出してくるよね」と言われました。

はあ?
キスマと噛み跡こそ私の真意でしょうが。

と思いました。
どうでもいい相手には付けないですよ、と。
ある意味、ささやかな(?)アピールなのですよ。
憶えておいて欲しい、思い出して欲しい、毎日1回でいいから私の存在を脳裏に浮かべて欲しい。
そう言う想いの塊が、貴方につけたそれなんですけどね。

さて、長期的な目で見たときの「私」の存在を焼き付ける行為はなんでしょうか。
もうこれは、思い出しかないような気がします。

ただの思い出ではダメです。
もちろん、一緒に行った場所でもいいんですけれど、それじゃあちょっと弱いんです。

もっと日常に潜んでいて、頻繁に目にしたり耳にしたりする何かである方がいいと思うんです。

例えば、私は一時期オレンジジュースを馬鹿みたいに飲んでいました。
コンビニに寄れば絶対に買っていたんです。

別にオレンジジュースはそんなに好きじゃありません。
ジュースよりもお茶のほうが好きです。

それでも私がしきりにオレンジジュースを手に取っていた理由は、その行為を数年見続けた相手が、いつか私との縁が切れてしまっても何処かでオレンジジュースを見たときに、ふと「私」の存在を思い出せばいいと思っていたからです。

成功したのか失敗したのかはわかりません。
永遠の謎です。
でもそうやって、毎日小さな悪足掻きをしています。

私の存在が過去になったとしても、その過去をあたかも無かったことのように語る人だったとしても、日常の中の小さなきっかけで私を思い出して、出来るだけそれが長く続けばいいと思います。

出会いがあれば別れがある
し、
始まりがあれば終わりがある
し、
繋がる縁があれば切れる縁もある

そうやって流れるだけの不可逆的な時間の中で、少しでも「私」と関わった瞬間が誰かの痕として焼き付けばいい。

そんな風に思っています。
面倒くさい女です。

皆さんが、過去に関わった人を思い出す瞬間ってどんな時ですか。
今後の参考にさせてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?