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『水たまりで息をする』(高瀬隼子 著)

先日『犬のかたちをしているもの』を読んで好きになった作家、高瀬隼子さんの新しい中編『水たまりで息をする』を読みました。
すばる2021年3月号で発表された作品です。
単行本になる前に、文芸誌で作品を読んだのは生まれてはじめてでした。

読み始めたちょうどその頃、本作が芥川賞候補になったことが報道されました。
そして読み終わって、確かに、非凡な作品だと思いました。

主人公の衣津実は夫と二人ぐらしの36歳の女性で、子どもはなく、共働きです。
ある日、夫が、風呂に入るのを止めたと宣言します。
水が臭い、痛い感じがするというのですが、理由ははっきりとはわからない。

職場で周囲から馬鹿にされていることがうかがわれますが、そのこととの関係も不明です。

初めはごまかして生活を続けるものの、次第に夫の異臭は隠しきれなくなり、会社も辞め、社会からドロップアウトしてしまう。
ついには衣津実の地元の田舎に二人で移住し、夫は何日かに一度、川の水で身体を洗う生活が始まります。

夫は狂ってしまったのだろうかと思いながら、それでもいいと思う一方で、狂ってしまう夫の弱さを許せないと思い、また、そう思う自分を責めてしまいます。

許したくてしんどい。夫が弱いことを許したい。だけど一人にしないでほしい。

夫婦は他人だけど、家族。
愛しているからとか、その人が人生の全部というわけではないけれど、確かに、その人と平和に暮らしていきたいと思ってはいる。

離婚して別々に生きていくこともできるだろう。夫は、子どもではないし、親でもきょうだいでもない。血がつながっていないから、書類一枚で他人になれる。夫婦は家族であろうという意思なしには、家族でいられない。

衣津実の夫婦は、子どもも住宅ローンもなく、共働きで、他人に無関心な東京の集合住宅で暮らしています。
たぶん、夫婦の中では最も身軽な形態で、だからこそ義母はそんな生活を「おままごとみたい」と軽んじています。
だから何かが起こったとき、そのまま、夫婦「だけの」問題として向き合うことになります。

田舎での夫との静かな暮しは、でも、衣津実にとっては「どんづまり」であり、「おままごとの呪い」と感じられます。

「こんなとこ」、「こんな家」と、どこかで粗末に考えている。
そんなはずはないと思いながら、それを否定できない。
夫は東京の水の中で息ができなくなってしまいましたが、田舎では衣津実が息ができないのでした。

狂った夫を無私に支えるわけではないが、病院へ連れていくようなものとも思えず、自分を犠牲にしていることを自覚しながらも二人で平和でいたいと願うその複雑な心情が、とても精確に描かれています。

恋愛でも、義務でも責任でもない、それでも最後に残る何か。
夫婦って、本当に難しい。
外部からは絶対にわからないことがあります。

結婚した方がいいから結婚をした。子どもがいた方がいいから作ろうとしたけど、できなかった。夫婦二人仲良く生きていく選択をした方がいいから、そうした。毎日がうまくいっていた。夫が風呂に入らなくなった。風呂には入った方がいいから、入れようとしたけど、入れなかった。川のそばで暮らした方がいいから、引っ越すことにした。わたしたちは夫婦だから、離れない方がいいから、付いて行くことにした。そうして並べてみると、まるでなにも考えていないみたいだけれど、熟考して選んでないからといって、全てが間違いになるわけではない。無数に選択肢がある人生で、まっすぐここまで辿ってきた当たり前みたいな道を、おままごとみたいと、誰が言えるの。愛した方がいいから愛しただけだと、ほんとうに思うの。

自分の愛情に自信が持てないその不安の描き方は、『犬のかたちをしているもの』と重なります。
ただ結末は、より残酷です。

『犬のかたちをしているもの』も素晴らしい作品と思いましたが、本作の方がパートナーの男性の描かれ方がはるかに深みがあるし、衣津実の感情もより切実で複雑です。

すごい才能だなあと思います。
私は普段は小説はほとんど読みません。
わざわざ小説で読まなくても、事実の重みだけでもう充分、と感じてしまうからです。

でも、こんな感情は小説でしか表現できないでしょう。
次の作品も本当に楽しみです。

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