見出し画像

かこがわ学講座⑥「黒田官兵衛と光姫」

2022年9月25日(日)10:00~
テーマ 黒田官兵衛と光姫
コーチ 岩坂 純一郎さん

●旧加古川図書館について

ステンドグラスを通して陽光が二階の新聞コーナーにやわらかく差し込み、重量感のある建物とあいまって、何とも落ち着く空間を作っています。この図書館は、昭和四十九年六月に市公会堂を改装して開館しました。昭和十年十一月に落成した公会堂の建設費は五万九千五百円でした。現在の価格に換算すると、その当時はがき一枚が一銭五厘であったので、二億円弱ということになります。設計者は、宮崎県庁舎や茨城県旧庁舎など多くの公共建築物を手がけた置塩章で、彼の作品は左右対称のルネサンス風外観に特徴があります。

鉄筋コンクリート二階建ての公会堂は、一階に和室などが設けられ、二階はホールで約七百人が収容可能でした。写真に見えるように、正面玄関の上には幾何学模様のステンドグラスを取り入れた大きなアーチ型の窓、スクラッチタイルを貼った玄関脇、側面の上部を飾る連続したアーチ型窓などがこの建物の優美さを際立たせています。かつて白亜に輝いていた公会堂は、まさに文化の殿堂という表現にふさわしく、講演会や美術展などさまざまな文化活動がここで行なわれました。また選挙の立会演説会や昭和三十年の加古川市と八幡・平荘・上荘各村との合併調印式にも利用されました。

旧市役所庁舎(大正十五年築)や旧加古川小学校校舎(昭和三年築)が解体された現在、昭和初期の公共建築物の雰囲気を伝えながらいまも多くの市民に利用されている図書館の存在は貴重です。

平成二十年に兵庫県の景観形成重要建造物に指定された図書館は、金剛寺浦公園の木々の緑としっくりとなじんで訪れる人を静かに待っています。
(広報かこがわ 2010年11月)

●黒田官兵衛と光姫

光姫は「てるひめ?」。昔の女性はなかなか名前が表に出てこない。菩提寺には「みつ」という名が残っている。
黒田官兵衛とは何者か?秀吉の作戦参謀。幕末まで続く黒田家中興の祖。豊臣秀吉の作戦参謀は黒田官兵衛と竹中半兵衛の二人だった。→№2で生き残っていった人。

黒田家のルーツは近江説or多可郡説。近江国伊香郡黒田(長浜市木之本町黒田)に黒田氏の菩提寺があった。
黒田家は御着の小寺氏に仕えていた。父親は小寺氏の養子となり忠誠を誓うため苗字を小寺としていたが、小寺の調子が悪くなると黒田姓に戻してしまった。

「加古川城はどこにあった?」加古川評定といわれているが、信長公記には粕谷館としか書いていない。では?粕谷館はどこにあったのか?というと、宗佐厄神の裏側の高台に粕谷館の文字が残っている。三木ま
で近く、当時の状況から考えると遠く離れた加古川ではないのではないか?との説がある。

「戦国時代の戦いは経営的?」戦国の戦いでは、負けた武将も召し抱えて現地の治世に利用した。逆に利用しないと人材が足りない。光姫の一族も召し抱えられている。能力のある人物はヘッドハンティングを受けていた時代であり、すべての人を殺していたわけではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?