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みんなの楽しいが分からない

みんなが楽しんでいること
笑っていること
冗談
遊び

楽しそうだな
楽しんでいるな

一緒に過ごしていても
一緒にその場にいても
同じ空間にいても
同じことをしていても
入り込めない自分がいる。

一歩引いて見ている。
浮かないように
馴染めるように
合わせて合わせて楽しいフリをしてきた。

みんなが楽しんでいることを楽しめない自分は何かが欠けているんじゃないか?
みんなが築いている関係性を築けない私はおかしいんじゃないか?
みんなが楽しんでいることを楽しめない自分がいることを認めたくなかった。
本当は楽しくないのに楽しいふりをしている自分が嫌だった。
楽しいふりをしていないと仲間に入れてもらえないんじゃないかって怖かった。
だから楽しいふりをした。
浮かないように。
でも、本当は何が楽しいのか全く分からなかった。
へぇ、みんなはこれが楽しいと思うのね、なるほど。
じゃあ、私もこれが楽しめればみんなと同じになれる。
(本当はその楽しさは分からないけど)

そうやって本当の気持ちを抑えて周りを観察してカメレオンのように
真似して馴染む努力をしてきた。

でも、それって何のため?
何のために周りと馴染むの?
周りと馴染んで何かいいことあるの?

自分の本当の声より他人の価値観を優先するってどういうこと?
本当は違和感を感じているのにそれを無視して
周りに合わせるってどういうこと?

無意識的に私は周りに合わせることを選択してきた。
それがみんなのためだと心の底から思っていたから。

周りに迷惑をかけてはいけない
心配させてはいけない
困らせてはいけない

その思いが強すぎて。
本当は嫌なことも嫌だと言わず、
本当はやりたくないことも笑顔でやりますとうそをつく。
本当は大丈夫じゃないのに大丈夫です、と笑顔でうそをつく。

周りを心配させないように。周りの空気を止めないように。
日々の生活の中で、会話の中で違和感を感じることたくさんある。
でも、そこでいちいち引っかかっていたら会話の流れをストップしてしまう。
それは申し訳ない。
私の理解が追い付いていないためにみなさんの時間を止めてまで私のためにその貴重な時間を使ってもらうなんて。

そう思ってきた。
なぜだか分からないけど。
誰に言われたわけでもないのに。
勝手にそう思い込んで。信じ込んで。
自分で自分を責めて。苦しめて。追い込んで。
甘えることを許さなかった。

なんでだろう?
それは今でも分からない。
気づいたらこうやって生きていたから。
これ以外の生き方が分からない。(みんなそうだと思うけど)

でも、
そう気づいた今、そしてその生き方を本気で変えたいと思っている今。
これまでの生き方を手放すことにした。

みんなと同じじゃなくていい。
私は私。
誰にも理解されなくてもいい。
私がずっと見ているから。
私には私がついているから。
私を信じて。
何が起きても大丈夫だから。

別にみんなが楽しんでいることが楽しめなくてもいいじゃない。
私は他の楽しさを知っている。

それに、私が見ている世界が小さいのかもしれないよ?
もっと他の世界も見てごらん。
この世界には本当にたくさんの人がいて、色んな価値観があって、
色んな生き方があるんだよ。

最近少しずつ心がゆるんできた私にこのメッセージを伝えたい。




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