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頑張ることをやめてみた
ずっと頑張ってきた。
頑張れば認められる。
頑張れば嫌われない。
頑張れば許してもらえる。
頑張れば仲間にいれてもらえる。
そうやって常に自分を奮い立たせて
嫌なことも本当はやりたくないことも
我慢して我慢して耐えてずっと頑張ってきた。
本当は嫌、やりたくないっていう部分にはふたをして。
見ないふりをして。
「頑張っている」ことを言い訳にして本当の気持ち、本当にやりたいこと、本当に進みたい道、本当に思っていることを押し殺していたみたい。
これは無意識にやっていたことで、最近やっと気がついた。
それまでは、
本当の想いに気がつかず、「頑張っている私」があることで、
自分の人生を歩むという責任を放棄して他人の価値観を生きる自分を正当化していた。
周囲から浮いてしまうことが怖くて。
受け入れられなかったらどうしよう。
価値観がずれていることがばれたらどうしよう。
仲間外れにされたらどうしよう。
本当はみんなが楽しんでいることが楽しくないとばれたらどうしよう。
ずっと本当の気持ち、意見、好きなこと、趣味、興味、関心を隠していた。
そのかわり、周りのみんなが好きなこと、楽しんでいることに興味があるふりをしていた。本当は全く興味がないのに。
本当は全く面白いと思っていないのに、周りに合わせて笑ったり。
今考えると恐ろしいくらい腹黒いな、と思う。
でもそれは自分を守るためだった。
傷つかないように。
自分の意見を言って嫌われるのが嫌だった。
否定されるのが怖かった。
受け入れられなかったらどうしようって不安だった。
みんなと同じことで楽しめない自分はおかしいのかなって不安だった。
周りに合わせて笑うけど、心から笑えていない自分がいた。
そうやって周りの期待に合わせて演じている時間がほとんどだった。
私の望み通り、嫌われることはなかった。
仲間外れにされることもなかった。
でも、本音で語れる人間関係も築けなかった。
可もなく不可もなく。
嫌いでもないし好きでもない。
よく分からない。そんな人。
いい人だね。いい子だね。
よく言われてきた。
最近深く心に残った言葉がある。私の尊敬する方の言葉。
「いい人いい人どうでもいい人」
まさに私のことじゃないか。
とても厳しい言葉だけれど、はっとした。
いい人ってめちゃくちゃ嫌われることはないけど、
めちゃくちゃ好かれることもない。
つまり、どうでもいい人なのだ。
あぁ、そうか。
これまで私は頑張っていい人を演じてきて、
特別嫌われることもなくここまで生きてきたけれど、
特別好かれることもなかったのだと。
だとしたらこれまで何のために自分の本当の気持ちや本当にやりたいことを我慢して頑張ってきたのだろう。
嫌われないように。
怒られないように。
迷惑をかけないように。
他者が望む自分を演じてきた。
そうやって頑張ってきたことの結果がこれか。
頑張ることで自分と向き合うことから逃げてきた。
その方がラクだったから。
誰かの意見、世間の価値観に従って流されるままに生きている方が
自分の意志を貫いて生きるよりもラクだった。
いつの間にか頑張ることに意地になっていた。
頑張ることが私のアイデンティティになっていた。
頑張ることがプライドになっていた。
頑張っていない自分は認められない。
頑張っていない自分は自分じゃない。
頑張っていない自分は見捨てられる。
無意識にこう思い込んでいた。
それにようやく気がついた。
目が覚めた。
気づかせてくれてありがとう。
もう頑張ることはやめた。
これからは私が本当にやりたいことに向かって歩くだけだ。
それには固く自分を縛り付けて耐えて我慢するような努力は必要ない。
ただ自分にとって必要なことを、未来の私がいる世界に向かって今できることを少しずつ積み重ねていく。
これからはそんな生き方をする。
もうすでに始まっている。
これからの私。これからの人生。今すでにわくわくしている。
自分の人生、仕事、環境、すべて自分で決められる✨
これからもよろしくね、私。
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