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私が私であるということ

いつも心のどこかでもやもやを抱えていた

どうして私は心の底から幸せを感じられないのだろう
みんなで楽しく過ごしていても
心の底から楽しんでいる感覚がなかった

物心ついた頃からそんな感覚で生きてきた
だからその状態が通常運転で当たり前だと思っていた
というより、いつの間にか身についていたから
それを疑うことすらなかった

それでもどこか苦しかった
何かが引っかかる
心にもやがかかっている感覚

それが何なのか分からないまま大人になって
社会に出てからもずっとそれが何なのか分からないまま

それでも最近少しずつ分かってきたことは
そんな自分でいることを選んでいたのは自分だということ

どこかもやっとしていてどこか満たされない感覚でいる自分でいることを
自分で選択していたということ

本当は幸せに生きる人生をいつだって選ぶことができた
それでももやもや生きる人生を選んでいた

どんな人生を生きるかは自分で選択することができるのに
幸せそうに見えるあの人は幸せに生きることを自分で選んでいるから

「人は自分の思った通りの人間になる。それ以上でもそれ以下でもない。」
やっとこの言葉の意味が理解できるようになってきた
少しずつ

私は私に
幸せになってはいけないという呪いをかけていたみたい

幸せになることが怖かった
私は幸せに生きるに値する人間ではないから
私は幸せに生きていいほど価値のある人間ではないから

だからこのままもやもや生きるのがいいんだ
それが私に見合ってると
そう思い込んで生きていた

だからその通りもやもや生きる人生を歩んできた
ただそれだけ

すべて自分次第
こんなにもシンプルだった

私は幸せに生きていい
幸せに生きるに値する人間なんだ
幸せに生きる価値のある人間なんだ

そうやって私に対する思い込みをいつだって変えることができる

私が幸せであるのは
私が幸せに生きることを選んでいるから

ひとつひとつの選択を
幸せに生きる私にふさわしいものに変えていく
幸せな私の価値観で選択し直す

少しずつ
ひとつずつ

ゆっくりでいい
私のペースで歩いて行こう


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