自虐ネタやめなよとモテ男に言われた話
自虐ネタ(じぎゃくネタ)は、主にお笑い芸人が、漫才や漫談などの話題として使用する、自分を貶めるネタ。 -Wikipediaより引用
『自虐するの、やめなよ』
...ん? なんだって? 自虐? わたし今、自虐言ってた?
大学4年生のとき。同じ研究室になったTくんと、たわいもない会話していました。その最中に、Tくんは真顔でサラッとわたしに言ったのです。
『自虐するの、やめなよ』と。
わたしは”ボケ”か”ツッコミ”かに分けるとすれば、ボケです。周りが和んで笑ってくれると嬉しい。それは学校でも家でもそうでした。ボケるのに拍車がかかったのは中学生のとき。わたしのボケに対して、わたし好みのツッコミをしてくれる友人がいたもんだから、ボケるのが快感になっていました。この「わたし好み」というのは幼稚園の頃から一緒にいたからできることでした。
高校生になり、初めて会う人たちと仲良くなる、距離を縮めるために、わたしはボケを繰り出しました。しかし、ココでつまずきます。
誰もツッコんでくれない。(そりゃそうだ。会って間もない人にツッコむなんて、わたしもできん)ボケだと気づいてくれないのです。(わたしが真顔でボケるからや…)そういうこともあって、わたしのボケは段々と自虐ネタへと移行していきました。場が和んでくれればよかったし、謙遜すれば受け入れてもらいやすいのでは、と思っていました。
そして、段々と自虐が自虐であることすら意識することがなくなっていきました。
それから、7年後。冒頭のあの言葉を喰らう。
『自虐するの、やめなよ』
わたし、自虐を言ったのか? 自覚ないなぁ... それに、自虐ネタの何が悪いんだ?
「なんでそう思うの?」
『自分で自分の価値、下げてるじゃん』
真顔でストレートに言うTくん。
そういうことか! 目の覚めるような思いとは、まさにこのことでした。
自虐ネタでボケて受け入れてもらう手法でコミュニケーションを取っているつもりでした。自分をネタにするので誰も傷つけないと思っていたのですが実はイタいし、サムいし、なにより自己肯定感をわざわざ低くしている行為なのだ。自虐とは、その字のとおり、自分を虐めることなのだと気づかされました。
高校生から数えると、7年目にして初めて人から指摘されました。それからわたしは自虐をしないように意識しはじめました。癖になってて、なかなか抜けないんですけどね。
自虐について考えさせられたというのも大きな収穫だったのですが、もうひとつ収穫がありました。それは、Tくんの行動でした。ナチュラルにサラっとストレートに嫌みなく人に注意できるなんて、スマートすぎないか?
Tくんは、モテる男でした。特段イケメンではありません。しかし、とてもモテたのです。わたしの知る限りでは4股していました。彼を取り合って、女同士の陰湿な嫌がらせが繰り広げられるくらいに。
なぜそうもモテるのか、わたしは不思議でした。その合点がいったのが『自虐するの、やめなよ』だったわけです。注意したいことを自然にストレートに誠実に冷静に、相手に伝えることができるテクニックをTくんは持っていました。これを喰らった女子は「この人はわたしのことを思ってくれている…!」って、なっちゃうはず。(わたしは、ならなかったけど。だって、4股って...)人を注意するのって、だいたい注意された方はムッとするもんです。そうさせないテクで逆に好感度をアップさせるとは。Tくんはどうやって身につけたんだろう。いや、もしや天然ものなのか…?
自虐ネタを注意してくれたことは、素直にありがたかったと思っています。(4股でもな…)
Tくん、あの時は注意してくれて、ありがとう。
同じテクを持ったモテ男(やはり特段イケメンではない)に数年後出会うのですが、それはまた別の話。
(おしまい)