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なにを目的にするのか|吹奏楽部

わたしは中学2年生の夏に転校した。ちょうど半分ずつ違う学校に通ったことになる。前半、後半ともに吹奏楽部に所属していたのだが、まったく色が違った。両極端だった。

前半の吹奏楽部は、ゆるかった。
「別に大会に出たいとかじゃないんです。楽しければいいんです。」みんなして先生に宣言するくらい、楽しさを重視した活動だった。先輩後輩の関係も友達のように穏やかなものだった。
わたしはサックスを吹きたかったのだけど、他の子がサックスがいいと譲らなかったので、しぶしぶわたしはチューバ担当になった。それでやる気がなくなっていき幽霊部員になった。全員で合奏しなければならない行事になると、本番で楽譜をはじめて見て吹くという荒業で乗り切っていた。初見というやつだ。ろくに練習もしない幽霊部員がいても何の支障もない部活内容で、わたしはわたしのペースに合った活動ができていたから、何の不満もなかった。

転校した学校では登校2日目にして、どこから聞きつけたのか、わたしが吹奏楽部だったことを耳にした部員が勧誘に来た。「見学だけでもいいから来てよ」と言われた転校生のわたしは「見学だけなら」と、ぼんやり思いながら音楽室に連れていかれた。ひととおり見学して帰ろうとしたところで顧問の先生が登場し、わたしが呼ばれた。部員全員の前で「新しく入部することになったパジャマさんです」と紹介された。40人全員がわたしを見ていた。この視線からは逃げられない…
「よ、よろしくお願いします... 」そう言うしかなかった。まんまと騙された。わたしに部活選択権はないのか... こうして転校先でも吹奏楽部に入部した。わたしはホルン担当になった。空きがあったからという理由だ。もう、どの楽器になろうと、どうでもよかった。

わたしの想定外だったのが、この吹奏楽部、県代表として全国大会に出ている、いわゆる強豪校だった。全国大会に出て金賞をとることが目標だった。顧問の先生はとてもとても熱心だった。野球部より遅くまで練習していたし、土日も朝から晩まで練習していた。休みは盆と正月だけだった。土日になると高校の強豪校から先生が来て、厳しく指導してもらっていた。テスト前なのに合宿があったりもした。先輩後輩の上下関係も厳しかった。「先輩が来るまで椅子に座ってはいけない」等、不思議なルールがあった。

サボり癖が板についていたわたしは、この厳しさに最初はついていけなかったが、慣れざるを得なかった。学校で生きていくためには周りに馴染んでいく必要があった。
しかし、なぜそこまで厳しい練習をして全国大会を目指すのかは、ずっと疑問に思ったままだった。

疑問に思ったまま全国大会への一歩目、県大会を迎えた。結果は金賞。しかし、県代表には選ばれなかった。いわゆる”ダメ金”というやつだった。帰りの貸し切りバスの中はお通夜状態だった。目標に向かって努力したのに報われなかった。願いは叶わなかった。誰一人しゃべらなかった。
わたしはみんなの落ち込み様を見ても、あまり共感できなかった。転校してきた途中入部の人間という、一歩引いたポジションにいたことも理由だが、わたしにとっては「全国大会で金賞」よりも「楽しく合奏する」ことの方が大切だった。楽しかったから良かったんじゃないのかなって思っていたのは、わたしひとりだけだったのだろうか。
その後の地区大会では県代表になれたので、ダメ金を返上する形となり、同級生は全員笑顔で引退できた。彼女たちにとって良い成績を取ることが目標だったわけだから、厳しい練習は良い思い出になったと思う。わたしにとっての厳しい練習は、なぜそこまでするのかという疑問でしかなかったのだけれど、合奏自体は楽しかったから結果オーライだった。

わたしは同じ吹奏楽部でも両極端な活動を経験した。どちらが部活動として良い活動なのかという話はしない。部活動は千差万別。それを身をもって学べたのは良かった。そして、なにをするにも そこに「楽しさを感じられるか」が、わたしにとって重要な目的だということを認識する経験になった。彼女たちにとって全国大会で金賞をとるのが目標なら、目的はなんだったのだろう。楽器が上手くなることだったのか。今となっては知る由もない。


高校生になり「先輩が来るまで椅子に座ってはいけない」というルールはなくなったと、風の噂で聞いた。


(おわり)


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