【備忘録】ベンゾ減薬記録16

この記事は、あくまで一個人の体験記録です。「私の身にこんなことが起こりました」という情報にすぎず、医学的・薬学的なアドバイスをするものではありません。

だいたい月に1回のベンゾジアゼピン減薬進捗です。
私のベンゾに関連する体験と、今までの減薬記録はマガジンにあります。

ジアゼパム減薬を本格的にスタートしてから550日以上経ちました。ピルカッターで錠剤をカットして漸減中。1か月に1回の減薬(約1か月ステイ)ペースです。


【前回の減薬からステイ中の体調変化(減薬日から2週間目~約4週間目)】

・減薬してちょうど2週間後に夜中の火照り&明け方まで眠れない&もろもろ祭り。

この夜間のお祭りは、減薬スタートしてから出始めた症状。減薬が進むにつれだんだんひどくなって、約50%の頃が最も辛かった。さらに減薬が進んで、最近は落ち着いてきた感じ。

日中は吐き気、食欲不振、肩首まわりの痛みこわばり、頭痛がありました。(が、これは減薬の影響というより、低気圧またはホルモンバランスによるものかな?)


【今回(17回目)の減薬の結果】

・減薬率 95.3 %(ジアゼパム 約 0.187 mg/day)
・朝夕の2回服用。前回夕分を減らしたので、今回は朝分を減らしました。
・今回の減薬に対しての離脱症状と思うツライ症状は、減薬日から約2週間で、特にありませんでした。

夕方以降に興奮するような出来事が起きたり、心配事があると夜中のお祭りが発動するのはあいかわらず。頻度も程度もかなり楽にはなってる。

のどのつかえ感、呑気、めまい、吐き気、肩回りの緊張、歯の噛みしめ、手足先のしびれ、視覚聴覚嗅覚過敏のような小さい症状はいつもありますが、これらは減薬した影響よりも、日々の気圧変化や、2週間ごとのホルモンバランスの影響の方が大きいように感じます(あくまで主観ですが)


【ひとりごとのコーナー(ベンゾショック時に服用量を戻さなかった私)】

ジアゼパム換算1日約14mgを2年ほど毎日服用しつづけていた。そこから医師の指示通りの量、4mgへ急減薬してしまって、信じられない離脱症状、界隈でいうところのベンゾショックを起こした。

そのとき、私は服用量を戻さなかった。つらい症状をなんとかしたいという気持ちよりも「なんて薬なんだ!コイツとはおさらばしたい、だから絶対増やしたくない」という気持ちの方が強かったから。すごく、すごく、すごーく強かった。意地でもステイしてやると決心した。

今思えば、あのときはピンチだったこともあって視野がすごく狭くなっていた。離脱症状の1つのコントロールできないイライラ・怒りもあったと思う。私はもともと性格が頑固で反骨精神旺盛なんだけど、それが更に強くなってた。私は泣きながらキレてて、意固地になってた。

主治医は離脱症状を抱えた私の状況を見ても、私の強い意志を尊重してなのか、はたまた私を否定したらますます状態が悪くなると判断したのか、理由はわからないけど増薬の指示はしなかった。その後、体はボロボロ心はうつうつと不安定な状況が続き、QOLは下降していった。

もし、ベンゾショック時にすぐに服用量を戻していれば、私の体は割と早めに持ち直し、無職にならず、今でも仕事を続けられているだろうか。記録を見返すと、急減薬後の1日4mgでのステイ期間は(ジアゼパム置換、置換後のステイを合わせると)536日。約1年半。もし、私が頑固にステイを貫かず、すぐに服用量を戻していれば、長くステイをすることはなかっただろうか。遷延性の離脱症状に苦しむことはなかっただろうか。

ガラでもなく、考えたことのないあり得ない「もしも」を、今更ながら自分自身に聞いてみる… 今の私なら、離脱症状が出て直ぐなら服用量をすぐに戻すことを考えると思う。それで良くなる可能性はあったかもしれない。まぁ、あくまで可能性であって、わからないけどね。戻しても何も変わらなかったかもしれないし、余計悪くなったかもしれない。確実なことは、誰にも言えなかったと思う。

あくまで私の場合、多くの選択肢から私は私の意志で、自分自身で選択した部分があるという点は忘れないでおきたい。離脱症状に苦しんだのは全部が全部他人のせいってわけではなくて。ここは自分の責任の範囲だったよなぁって思うところがある。何度も言うけど、あくまで私の場合ね。

結果、失ったものもあったし、逆に得たものもあった。失敗も成功も自分で決めたのだと思うと、たくさんの後悔と反省を経て、すべてが学びだったのだと腹に納めることができる。いろいろあったけど、自分よくがんばってきたよなって。

まさに「それでも人生は続く」だ。