【備忘録】ベンゾ減薬記録17

この記事は、あくまで一個人の体験記録です。「私の身にこんなことが起こりました」という情報にすぎず、医学的・薬学的なアドバイスをするものではありません。

だいたい月に1回のベンゾジアゼピン減薬進捗です。私のベンゾに関連する体験と、今までの減薬記録はマガジンにあります。

ジアゼパム減薬を本格的にスタートしてから580日(19か月)以上経ちました。ピルカッターで錠剤をカットして漸減中。1か月に1回の減薬(約1か月ステイ)ペースです。減薬終盤、1回の減薬量を落として軟着陸トライ中。


【前回の減薬からステイ中の体調変化(減薬日から3週間目~約4週間目)】

・急に暑くなってエアコンを常時つけるようになりました。体がまだまだ暑さに慣れてないので、自律神経が混乱してる感じ。胃の不快感が出ていました。


【今回(18回目)の減薬の結果】

・減薬率 約 96.9 %(ジアゼパム 約 0.125 mg/day)
・朝夕の2回服用。前回朝分を減らしたので、今回は夕分を減らしました。

現在は1回が1錠の32分の1サイズです。ゴマより少し小さいですね。さすがにここまでくると、薬剤師さんには「効いてる感じありますか?」と聞かれます。効いてるかどうかはよくわからなくなってきましたが、それでも急に減らすのは良くないと思って、まだチビチビ削ってます(笑)と答えると「そうなんですよ! 焦らずにね」と心強い後押しをもらえました。や、やさしい・・・

・今回の減薬に対しての離脱症状と思うツライ症状。減薬日から約2週間、夜中のお祭りの頻度が増えました。眠気がなかなか来てくれなくて。2,3日に1回、明け方まで目が冴えていました。夕方以降に興奮するような何かが起こっていないにもかかわらず。原因は屋内外の温度差? 自律神経混乱中。昨年も一昨年も夏の夜がきつかったから、季節性で、仕方のないことだと思っています。程度は昨年より楽になってるので、気にせず、がんばらないように過ごしています。がんばらないがんばらない。


【ひとりごとのコーナー(職場との関係~思い出話)】

ベンゾショック時からズルズル続く離脱症状。思うように動かない体を引きずりながら会社へ行った。「処方されているベンゾジアゼピンという薬を減らしたことで、離脱症状、つまり禁断症状が出ているんです。」人事部長や直属の上司、産業医とは定期的に面談をして、私は自分の状態を包み隠さず話した。体はどのようにつらいのか、主治医にはなんと言われているのか、私は今どういう気持ちでいるのか。

上司、部長、産業医。個人個人では、私の状態をよく理解してもらっていたと思う。人事部長は初めて聞く”ベンゾジアゼピン離脱症候群”という単語をノートにきっちりメモしていたし、精神科医にいろいろ話を聞いて、メンタルヘルスの勉強中のようだった。直属の上司は家族に精神科にかかっている人がいたから、薬の作用(と副作用)を知っていたし、体調を崩してうつうつとしている私への接し方は完璧だった。

会社には私以外にも うつ病を始め、精神疾患持ちの社員が正規非正規問わずぼちぼちいた。(ぼちぼちいたという事実は、私が休職した後、実は私も…と本人に打ち明けられて初めて知ったところで。みんな普通の顔をして暮らしているだけで、それぞれに抱えていることがあるのですね。)働き続ける人もいたし、辞めていく人もいた。だから、うつ病等にまったく対応できない会社というわけでもない。

在職中、私の安定しない働き方に、会社には臨機応変に対応してもらっていた。初めてのこともたくさんあって、多くの人にいろいろ迷惑をかけた。休職期間を満了し、有休休暇も使い切ってもなお体調がボロボロの人間を、辛抱強く働かせてくれていたなと思う。私の方がこんなに良くしてくれる会社は他に出会えないんじゃないかと思って(錯覚して?)しがみついてやろうとしていたくらいだ。

でも最終的に、会社は私に退職を推奨した。「症状は理解できるし共感もできる。だからこそ、今働くことには賛成しない」ということだった。ひどい離脱症状というやつは、気合と根性でなんとかできるような代物ではない。「ひとり暮らしじゃなくて、人の目のあるところで人の手を借りて、しっかり治しなさい。その方が、あなたの後々の長い人生には良いと思う。」

職場との関係性は終始良好だった。でも、お互いに好きだけど今は別れた方がいいねって納め方になった(恋愛かな…) いつ治るかわからない体調不良の やっかいな一面に、私も会社も憤った。そんな思い出。