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揺れる

AIがものすごい勢いで進化しているらしい。
ここ最近、特に話題になっているのが、chatGTP。
キーワードを与えれば、ブログや小説などのコンテンツを、驚くべき早さで生成できるとのこと。
専門家じゃないしよくわかってないけど、感覚だけで言うなら「AIが書いた小説やエッセイを読みたいか、と言われると、特に読みたいと思わない」が、第一印象だった。

AIの文章と、人間が書いた文章は何が違うだろう。

多分、AIは間違えない。

今はまだ精度が低い部分もあり、問いに対する答えが間違えていることもあるようだけど、AIは学習によって成長するので、あっという間に世の中のあらゆることに正確な答えを返してくるようになるのだろう。
そして、アメリカで作られた人工知能なので当然ながら、現時点では日本語よりも英語に強く、漢字や日本語の文法も学習中で発展途上みたいだ。
でも、そのうち、そういう意味での間違いは減っていくはず。
(更に色々な記事などを見ていると、現在2021年のデータを基にしていたり、まだ学習していないことについて、悪気なく嘘を交えてくるみたいなので要注意!)

では、そんな“正しい日本語”だけが連なったものに、心を動かされるだろうか。
校閲部の校正を経て出版社から出される書籍も、日本語表現や表記の間違いはほぼ、ないと思う。
それでも、多少不自然でも、作家が選んだ言葉を敢えて使うことで生まれるような“何か”が含まれているのではないか。
ましてや、プロによる校閲がないブログやnoteなら、多少の誤字、脱字があるくらいのほうが、人間味を感じてしまう。
そういった“揺れ”や“揺らぎ”が、AIが生成する文章からは排除されてしまう気がする。

とは言え、現状、AIを動かすきっかけの質問は、人間が投げ掛けないといけないし、AIの答えや文章におかしなところがないかを確認するのも人間。
AIが生成したものを世に出す前に、適度な“揺らぎ”を付け加えることもできる。

最初は「AIに文章書かせるなんて!」と思ってたけど、そう考えると特に問題ではない気がしてきた。
文学作品みたいな、心に響かせたいもの、作品として創り上げるものは人間が書けばいいし、心は動かなくていいから、端的に事実を伝えたい場合はAIを上手く利用すれば良いのかもしれない。
取扱説明書とか、契約書や法的な手続きの書類とか。
情報を提供するためのブログなんかも、土台はAIで作れば時短になって、本来の業務のための時間を、無駄にブログに割かなくてすむ。
ならば、アカウントくらいは作っておいてもいいかな、と思い始めた。

だが、しかし。
一度でも物書きを志した身としては、「本当にAIに頼った文章でよいのか?」と、やはり、心揺れるのである。

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